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アントレに出た赤塚健太郎さんとの対話(2015年1月)

 古楽情報誌「アントレ」の2014年10月号に、音楽学の赤塚健太郎さんとの対談が掲載されました。すこし長い記事ですが、アントレ誌のご了解を得て、以下に全文を掲載させていただきます。写真も同紙に掲載されたものです。なお、このインタビューは2014年の9月に行われたので、コンサートのお話などは少し古くなっています。(前田りり子)

 

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 フルート奏者として多彩な活動を繰り広げている前田りり子さんにお話をうかがってきた。様々な時代の楽器を吹きこなす前田さんだが、最近では特にルネサンス・フルートによるコンソートに熱中しているという。いまだにそれほど一般的になっていないこの分野の話を中心にしつつ、長く続けているコンサート・シリーズ「フルートの肖像」や新たな一歩を踏み出した福岡の古楽祭についてもうかがってきた。(赤塚健太郎)

ルネサンス・フルートのコンソート

 

赤塚(以下A):ソロや室内楽、あるいはオーケストラの一員としてお忙しい日々のようですが、中でも最近はルネサンス・フルートのコンソートに夢中なのだそうですね。

前田(以下M):はい。2008年にソフィオ・アルモニコというコンソートを結成し、継続して活動しています。

A:現在のメンバーは、前田さんと、菊池香苗さん、菅きよみさん、国枝俊太郎さんですね。今年も8月に演奏会を開いたそうですが。

M:「ハプスブルク帝国の幕開け」と題して行いました。何しろハプスブルク帝国は広かったですから、いろいろな音楽をとりあげることができました。

A:副題が「マクシミリアン1世からカール5世」ですが、その頃は、ハプスブルク家の勢力がヨーロッパを覆うかのような最盛期にあたりますね。

M:ですから、このテーマだと何でもできるかなと思いまして(笑)。音楽史的には、フランドルの音楽家達がヨーロッパ中で活躍していた頃ですので、彼らの曲が中心になりましたが、ルートヴィヒ・ゼンフルやハインリヒ・イザークの曲も演奏しました。どうもマクシミリアン1世は器楽が好きだったようなんです。当時の器楽というと、声楽曲を楽器でやる場合が多かったようですが、ドイツ南部では最初から器楽のために書かれた曲も結構あったようで、そうしたものをたくさんとりあげたのです。

A:今回はゲストとしてリュートの佐藤亜紀子さんが加わったそうですね。

M:佐藤さんには、最近は毎回のように助けてもらっています。他にも声楽や器楽の方にゲスト出演をお願いすることが多いですね。

A:4人のメンバーの中では、誰がどの声部を担当するかは固定しているのですか。

M:私達自身、これまであまりルネサンス・フルートのコンソートはやったことがなかったので、どのパートがどういう役割を担っているか分かっていなかったんです。だから、曲ごとにパートを入れ替えることが多いです。ただしバスだけは、楽器が長く重たいので、体の大きな国枝さんにいつもお願いしてしまいます。10分間くらいだったら私でも吹けるのですけれど。もっとも最近は、上3声の女性も担当を固定するようにしています。来年、レコーディングに挑戦することになったので、それに向けて自分のパートを深く知るようにしようと思いまして。

A:ルネサンスのフルート・コンソートには、どんな魅力がありますか。

M:対位法的なアンサンブルができるということですね。普段は、フルート奏者って一番上を吹くことが多いじゃないですか。

A:確かに一番上か、せいぜい上から2番目くらいまでで、目立つ役割が多い。

M:バロック以降になると、楽器ごとにある程度役割分担が決まっているためですね。しかしルネサンス時代のコンソートだと、フルートで内声や低音を担当することができる。しかもそれぞれの声部がみな同じように重要で、互いに絡み合いながら調和を作り上げていくので、すごく面白いですね。横の流れが重要なので、それぞれが好きにやりつつ、でもいろいろな瞬間に縦の和音が美しく響く。この縦と横の織り成す綾が魅力で、すっかりはまってしまっています。

A:ソフィオ・アルモニコの演奏会は、会場がいつも小さなところですね。

M:会場はかなり意識して選んでいますね。私がルネサンス・フルートに最初に感激したのは、イタリアのヴェローナでオリジナルの楽器を吹いた時のことです。軽く吹いただけだったのですが、部屋がわっと鳴ったんです。笛を吹いている感覚がなく、魔法の杖を振ったら部屋全体が音楽になったような感じで。モダン・フルートだと楽器をいかに鳴らすかが大事だったりするのですが、それの正反対です。でもこういう感覚を味わうには、部屋の残響が重要ですね。部屋も楽器の一部のようなものですから。

A:そもそも当時は舞台と客席、演奏者と聴衆という線引きがそれほど明瞭でない環境でこうした音楽を演奏していたのでしょう。

M:当時のディレッタント達が、自分自身で歌い、吹いたのでしょうからね。そうした音楽を現代においてコンサートとして成り立たせることの難しさはやはりあります。

 

手探りの魅力

 

A:しかしリコーダーやガンバに比べると、ルネサンス・フルートのコンソートはこれまであまり一般的ではなかったですね。

M:そうなんです。当時は、他の楽器と同じくらい、あるいはもっと広く演奏されていたと思うんですけれど。

A:古楽が盛んになる中で、この分野はどうして注目されてこなかったのでしょう。

M:大きな原因の1つとして、楽器の問題があると思います。古い時代のものですので、オリジナルがそれほど多く現存しているわけではありません。ですからコピーが必要なのですが、なかなかいいコピー楽器に恵まれてこなかった。特に低音の響きがはっきりせず、また高音もそれほど音が伸びないことが多かったですね。しかし最近ではいいコピー楽器が作られるようになってきました。それによりフルート・コンソートに取り組む人が増え、その結果さらにコピー楽器の質が上がるという好循環が起きています。

A:お使いの楽器は?

M:タルディーノというイタリア人製作家のものです。

A:コンソート用のセットとして作られた楽器ですか。

M:最初はセット楽器を使っていたんですが、セットとして作られたのではない楽器を混ぜても、あまり問題がないように最近では感じています。

A:そうしたことも、実際にフルートのコンソートという新領域に乗り出したからこそ得ることのできた経験ですね。

M:はい。バッハやヘンデル、モーツァルトのフルート音楽のように、上の世代の演奏家達によって開拓された領域ではないので、何をやるにしても難しく、一方で新鮮で、目からうろこが落ちることばかりです。最近ようやく気が付いて、反省中なのが歌の重要性です。A:歌といいますと?

M:ルネサンスのコンソートでとりあげる曲は、中には8月にとりあげたような純粋な器楽曲もありますが、多くの場合は声楽曲であって、歌詞がついています。そこで歌詞というものを視野に入れて演奏することになるのですが、それによって音楽の見え方が全然変わってきたんですよ。後の時代であるバロックの教則本を見ても、まず歌の真似をせよと書いてありますね。当時の音楽家達は、みな歌を通じて音楽を学んでいました。しかし、今まで自分は音符しか見てこなかった。そのことを、ルネサンスのコンソートによって痛感するようになりました。ですから私自身も歌を勉強中なんです。人様にお聞かせできるものではありませんが(笑)。

A:歌を大事にするというのは、歌詞の意味を重んじるということですか、それとも言葉の響きや切れ目などを重んじるということですか。

M:両方です。まずは内容ですよね。歌詞の内容が分かると、そこから音楽を具体的に捉えることができるようになる。その上で、言葉の響きやリズムが音楽に密接に関わってくる。するとアーティキュレーションや音楽の構成、盛り上がりが見えてくる。フランス語とイタリア語の違いがこれほど大きかったのかということも実感できるようになります。

A:知識としてはよく言われることですが、それを実感するのは難しいことですね。

M:留学中に、私の先生だったバルトルド・クイケンに「君、まだフランス語がしゃべれないの?それでフランス音楽やるの?」と言われていたんですけれどね(笑)。

A:やはり歌の理解、その前提として言葉の理解は重要だと。

M:もちろん流暢に会話ができるというところまでいかなくてもいいと思うんです。動詞の活用を完璧に覚えていなくてもいい。ただし歌詞が読める、そしてそこに込められたリズムを感じるということが大事でしょう。また、時代によって言葉の発音も変わるので、そういう発音の変遷などの知識も音楽をやる上で重要だなと感じているところです。

A:一方で、声楽曲を楽器でやる場合、楽器の制約もあるのではないでしょうか。

M:確かに、歌のようにやりたいのだけれど、楽器の都合でどうしようもないということはありますね。特に大きいのは音律の問題です。ルネサンス・フルートはミーントーンに近いので、半音を狭くとりたくてもできないといったことがあります。

A:そのあたりはまだまだ手探りで進めていくわけですね。

M:バロック以降の音楽については、教えてくれる先生がいたので、楽をさせていただいていたなと強く感じます。前の世代の演奏家達が研究や実験をして、演奏のひな形を作ってくれていたので。しかしルネサンス時代のフルートとなると、一から手探りの部分が非常に大きい。そうした手探りに際して、何が参考になるかというと、やはり歌なんですね。

A:声楽とフルートをミックスしたコンソートも可能ですよね。

M:はい。歌との共演は楽しく、勉強になりますね。10月には大阪で、ソプラノの平井満美子さん、リュートの佐野健二さんとの演奏会も予定されています。対位法的な音楽を歌とフルートでやるのはとても効果的ですよ。フルートは息を使う楽器で、歌手のように歌うことができる。でも歌詞がつかないので、歌手の歌う言葉は聞き取りやすいんです。

フルートの歴史と向き合って

 

A:フルートの場合、バロック以降のレパートリーが厚いため、ルネサンス以前の音楽に目が向きにくかったという面もあるでしょうか。

M:そうでしょうね。リコーダーやガンバの場合は、バロックから前へ遡ることが中心になるのでしょうが。かつてバロック音楽の奏法を見直す際に、ブリュッヘン達の世代が踏んだのだろう足取りを、いまルネサンスのコンソートという舞台で自分達が踏んでいるという感じはありますね。また、バロック以降の演奏においても、教わった内容を信じるのではなく、改めて自分で一次資料に立ち戻って勉強する必要があるのだなということも痛感しています。何より、歴史というのは古い方から見ていくべきだと思うんです。

A:次の時代のものが違う見え方をするということですか。

M:はい。バッハにしても、これまで自分はかなり和声的に解釈していたと思うんです。一方、ルネサンス音楽を経験してから改めてバッハを見ると、そこに対位法的な構造に改めて気づくんです。バッハは和声的な発想と対位法的な発想をミックスしたところにいるわけで、彼の音楽の見え方も大きく変わりました。ルネサンスについては、演奏する曲を見つけるという面白さもあります。バロック以降は「フルートのため」という曲が増えていきますが、ルネサンス時代はそうではない。主に声楽の曲をとりあげるわけですが、先ほど言ったように楽器の制約もあるわけなんです。その中で魅力的な選曲をしなくてはいけない。もう、コンサートのたびに図書館にこもらざるをえないんです。そしてたくさん譜面を見ながら、「もうどれでもいいや」という気分になるころに、これはと思えるキラッとした曲が見えてくるんです。

A:こうしてルネサンスの世界にも手を広げつつ、一方で19世紀以降の楽器でその時代の音楽を演奏するような活動もなさっていますね。2006年には『フルートの肖像』という本も東京書籍から出版なさってますし、フルート史を飲み込むような活躍ぶりです。

M:高校生の頃トラヴェルソをやりたいと言い出した時には、周りからそんなに狭い時代だけに集中してはもったいないではないかと言われたのですが、しかし今になってみればモダンの人たちよりもはるかに長い年月の、広い分野の音楽をやれるようになりました。

A:コンソートを通じてルネサンス方面での活動はだいぶ熱心になさってますが、後ろの方の時代はいかがですか。

M:これはもう個人的な好みですが、19世紀の音楽には魅力的に感じるものがあまりないんですね。もちろんやってはみたいと思うのですが、時間は限られているので、バロックより古い方と新しい方のどちらかと考えたときに古い方を選んだんです。もともとルネサンス音楽を聴くのは好きだったし。そして、そちらをやりだしたら、調べることや勉強することがたくさんあってすごく時間がかかるので、新しい方はしばらくいいかなという気になっちゃった感じです。ただ偉大なオーケストラ曲の歯車の一員になるのはとても興味深いので、19世紀のオーケストラ音楽にとりくむのは面白いですね。

A:『フルートの肖像』は、コンサート・シリーズの名前にもなっていますね。既に10回目までが終わり、11月29日に第11回が行われます。

M:フルートの砂川佳美さん、ヴィオラ・ダ・ガンバの平尾雅子さん、チェンバロの上尾直毅さんと、ルクレールやブラヴェ、ブラウンの曲をやります。

A:フランスのレパートリーが中心ですね。しかもイタリア色の感じられるものばかり。

M:1723年から32年までの曲だけを集めたのですが、この頃はフランスの音楽が急激に変化した時代なんです。23年頃というと、既にルイ14世が亡くなりイタリアの影響が強く入ってきてはいるけれども、まだまだ前の時代の様式も残っている時代のように感じます。そこから、10年足らずの間にイタリア色がずっとずっと濃くなっていく。何事も過渡期って、いろんな人がいろんな実験をして面白いと思うんです。その魅力を聴いていただけたらいいなと思います。この日はピッチを405にして演奏する予定です。

A:実際には415よりも、そのあたりの楽器の方が多く残っているそうですね。

M:はい。しかし演奏会で用いられることはそれほど多くないので、ピッチの点でも興味深いものになると思います。

A:フルートの歴史に関する著書を出されているのだから、このコンサート・シリーズでやりたいこともたくさんあるのではないですか。

M:それはもうたくさんあります。年に1回か2回やっていますが、怠け心に負けず、長く続けていきたいと思います。今年の6月にやった区切りの第10回はコンチェルトばかりでしたので、第20回でもまたコンチェルトをたくさんやりたいですね(笑)。

 

福岡の古楽祭に育てられて

 

A:10月にはコンサートへの出演やセミナーの講師として新・福岡古楽音楽祭に参加するそうですね。当初は昨年で福岡の古楽祭はおしまいと聞いていましたが、形を変えて続くことになったそうで、これは大変に嬉しいことです。

M:15回行われた福岡の音楽祭で古楽を知り、ファンになった人も多いので、ここでやめてはもったいないと福岡県や福岡市が言ってくれたんです。そして、県や市が主体となって続けることになりました。

A:従来の音楽祭を主催してきた18世紀音楽祭協会の事務局長である前田明子さんは、前田さんのお母様でしたね。今後も協会は新しい音楽祭と協力していくのですか。

M:県や市の方々は、必ずしも古楽の世界の事情をよく知っているわけではないので、18世紀音楽祭協会も引き続き協力していくことになります。これまでの音楽祭は、コンサートを聴くこと、レッスンを受けること、そして参加者自身がステージで演奏することを三本柱としてきましたが、新しい体制でもそうした方針は受け継がれていくと思います。

A:音楽祭の期間外にも、いろいろなプレ・コンサートやレクチャーをなさっていましたね。新体制でもそうした催しは継続されるようですから、今後も古楽のファンをさらに増やしてくれるといいのですが。

M:私がトラヴェルソを始めたのも、そうしたプレ・コンサートがきっかけでした。有田正広先生が1988年に福岡で東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの旗揚げ公演を行ったときに協会が発足したのですが、当時の福岡では古楽なんてほとんど知られていなかった。そこで有田先生が何度もプレ・コンサートにいらしてくださったんですが、当時高校生でモダン・フルートを吹いていた私も、そこで有田先生からレッスンを受ける機会があり、感動しトラヴェルソに転向したんです。やがておぐに古楽音楽祭が始まり、福岡が続いたわけで、私は一連の音楽祭に育てていただいたなあと思います。それは音楽的なことにとどまらず、イベントや演奏会をどうやって運営するかという面も含めてですね。

A:そうして今の幅広い活躍ぶりに至るわけですね。さて、録音の予定についてもうかがいたいと思います。ソフィオ・アルモニコの初録音が計画されているとのことでしたが、他には?

M:ソロの方は今のところないのですが、アンサンブルではヴァイオリンの寺神戸亮さんたちとテレマンのパリ四重奏曲を録音する予定があります。

A:パリ四重奏曲は以前、「フルートの肖像」のシリーズで演奏しましたね。

M:はい。基本的にはライブの方が好きなのですが、その時の寺神戸さん達との演奏があまりにも楽しくて、これはぜひ冷凍保存したいと思ったんです(笑)。

A:前田さんは録音も多いですが、ライブの方がお好みですか。

M:こんなことをいうと買ってくださった方に悪いような気もしますが、CDの演奏を、今の私の演奏だとは思わないでほしいんです。演奏は毎日変わるものですから。もちろん毎日生演奏を聴いていただくわけにはいきませんし、遠方の方にも演奏をお届けできるという点で、録音はとてもありがたいのですが。昔の演奏は、それはそれで楽しんでいただければ嬉しいのですが、今の演奏も聴いてくださいねって言いたい気分です。ライブだと、間違えるかもしれませんが、今の私の言いたいことはそこにあるので。

A:常に言いたいことがあるというのも、音楽的なエネルギーの豊かさでしょうね。

M:基本的に元気な人間なんだと思います。「フルートの肖像」のシリーズも、昼夜2回公演のことが多いのですが、違うことがやれて楽しいのです。

A:教える方面でもエネルギー豊かに活動されていますね。前田さんのところの発表会は、かなり長時間に及ぶとうかがっています。

M:どうも教えるのが好きみたいです(笑)。天才って、できない人の気持ちが分からず、教えるのがうまくなかったりしますが、私は自分が不器用な人間で苦労してきたので、習いに来てくれる人が上達していく過程を見るのもとても楽しいんです。

A:かつて福岡でトラヴェルソに出会った前田さんが、今では数多くの生徒に教える立場になり、またルネサンス・フルートのコンソートという新しい領域に挑んでいる。先日ブリュッヘンが亡くなったから感じるのかもしれませんが、世代が1つめぐった感じを受けますね。

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