2011年夏ヨーロッパ旅行記(2011年9月)
◆日本脱出
節電の夏を乗り切るには海外脱出が一番だということで、8月に約1ヵ月間ヨーロッパに行ってきました。最近は大学を2つも教えに行っているため、なかなか長期の旅行に行くのが難しくなりました。でも今回はバッハ・コレギウム・ジャパンのヨーロッパツアーが8月下旬で、リハーサルも現地集合とのことでしたので、こんなチャンスはめったにないと、大喜びでツアーの2週間も前にヨーロッパ入りしました。
◆ケンブリッジ、ルネサンス講習会
最初の1週間はイギリスのケンブリッジでルネサンス音楽の講習会を受けてきました。講師はムジカ・アンティカ・オブ・ロンドンを主宰しているフィリップ・トービーさんとその仲間たちで、しばらく日本で暮らしていらしたガンバ奏者のデヴィット・ハッチャーさんもいらっしゃいました。ケンブリッジ大学というのは31のカレッジから成り立つ総合大学で、カレッジは学生たちが寝食を共にしながら学べる寮を意味します。今回の講習はそんなカレッジの一つシドニー・サセックス・カレッジの中に宿泊しながら行われました。高い塀に囲まれたカレッジ内には美しくて広い庭が広がり、16世紀に建てられた寮内の個室はゆったりとした2部屋。こんな素晴らし環境で、友人たちと人生について語り合い、切磋琢磨しながらともに学ぶなんて大学生活をしてみたかったものです。
コース参加者の多くはご高齢のマチュアでしたが、彼らを単なるアマチュアと侮ってはいけません。私が生まれるよりも前、デラーやマンロウが活躍した時代からルネサンス音楽を愛し続ける猛者たちで、歌はもちろん、リコーダー、ガンバ、ドルチアン(ルネサンスのファゴット)、サクバット(ルネサンスのトロンボーン)と一人でいくつもの楽器を、初見で楽々と皆さん演奏していました。ガンバと歌が上手な80歳ぐらいのとっても小さなおばあさんが、「最近新しい楽器を始めたの」と楽しそうにサクバットを吹く姿はもう脱帽でした。こんな風に私も上手に年が取りたいものです。そんな猛者たちと朝から晩までルネサンス漬けの1週間を共に過ごし、音楽だけでなく人生をいろいろ教わることができました。
(左)ケンブリッジ・シドニー・サセックス・カレッジ (右)ケンブリッジ講習会受講者コンサート
◆サン・クルーの滝
その後は5日ほどパリを起点に純粋に観光旅行を楽しみました。まず訪れたのは、オトテールの組曲ト長調(作品2の3)のアルマンドのタイトルになっているサン・クルーの滝です。滝といって日本の滝のような自然なものではなく、18世紀に人工的に作られた噴水の一種のようなものというのは写真で知っていたのですが、本物がぜひ見てみたくて実際に行ってみました。
南西方向のパリ地下鉄の終点駅、磁器のセーブル焼きで有名なセーブルの近くのサン・クルー公園の中に滝はあります。広大な公園は1658年にオルレアン公フィリップ1世が作った庭園の一部で、非常に起伏に富んでいます。滝はその中でもセーヌ川に最も近い入り口付近にありました。やっぱり、実際に見た滝は写真から想像するのとはだいぶ違っていました。残念ながら水は止められて出ていませんでしたが、滝はいく筋にも分かれて様々な形で落ちていくようです。カエルや亀の口から水が出たり、円盤伝いで落ちてきたり、ヴァリエーション豊かで楽しそうでした。滝の周りはイルカやギリシャ神話の立派な彫像がたくさん飾られていました。大きな滝の下には1本の道が通っており、その下にもう一つ小さな滝があり、その滝はさらに下の大きな池へとつながっていました。日曜日の午前中に訪れたのですが、公園にはほとんど人影がなく、ゆったりとした時間を過ごすことができました。パリの知人曰く、8月はパリ市民はほとんどヴァカンスで町にいないし、観光客はわざわざ郊外の公園にはいかないからということでした。観光したいけど人混みが苦手な人は、殺人的に込み合う夏のヴェルサイユ宮殿に行くより、ゆったりとサン・クルー公園で過ごしたほうが、フランス・バロックの雰囲気を味わえるかもしれません。
サン・クルーの滝
◆シャンティイ城
2日目はパリから電車で30分ぐらいのシャンティイ城に行きました。駅からお城を目指して森の中を歩いていくと急に視界が開けて、競馬場が広がりました。その向こうに見える古くて立派な建物ががお城だろうとたどり着いてみてびっくり。それは巨大な厩舎でした。18世紀には馬240頭、猟犬 500匹が飼育されていたそうですが、その建物の豪華なことと言ったら!当時、オトテール一族やフィリドール一族などの管楽器奏者は宮廷楽団ではなく、厩舎の音楽隊に所属していましたが、やっぱり、厩舎を現代の感覚でとらえてはいけませんね。宮廷の中でもとても重要な地位を占めていたことがよくわかりました。
実際のお城ももちろんとても豪華でより洗練され繊細な感じがしました。このお城はコンデ公という王族に非常に近い大貴族が所蔵していたもので、18世紀以前の絵画ではルーブルに次いでフランスで2番目の所蔵数を誇っています。壁には所狭しと大小さまざまな絵画がまるでパズルのように飾られており、その並べ方は時代や様式を完全に無視していてごちゃごちゃです。上の方に飾られた絵は光が反射してほとんど見えなかったりもするのですが、一つ一つの絵をよくよく見てみると中にはラファエロやボッティチェリ、ワトー、コロー、ドラクロワなど超大物の絵画が混ざっていて、まさに珠玉混合。一体これはなんだとびっくりしました。
この城を19世紀に受け継いだコンデ公の子孫は、フランス革命で失った絵画や工芸品を取り戻し、さらなるコレクションを整え、フランス学士院にそのすべてを供託しました。この絵画の配置には彼なりの強いこだわりがあったそうで、遺言で作品の配置を絶対に変えないことと指示があり、現在までこのような19世紀的展示が残されているという説明を読んで納得しました。かなり見づらくはありましたが、19世紀の美的センスの一端が感じられて面白かったです。音楽において部屋の響きは楽器の一部であり、その環境によって音楽の感じ方も大きく変わってきますが、絵画も同じですね。せっかくの古い絵画を、今までいかに無機質に整理整頓された現代的な部屋で、現代的な感覚のまま見て来ていたのか、はっとさせられました。
上はシャンティイ城の厩舎
下がシャンティイ城とそのギャラリー
◆ランス
3日目はTGVに乗ってシャンパーニュ地方のランス大聖堂に行きました。マショーやデュファイが活躍したこの大聖堂は盛期ゴシックの典型といわれていますが、入り口の装飾が実に見事でした。これから教会に入ろうとする人に向かって圧倒的な神の力を見せつけるように迫ってきて、その圧力にめまいを覚えるほどでした。思わず神にひれ伏しながら建物内に入ると、縦横高さすべてにおいて巨大な空間が広がり、大きな窓からは、ステンドグラスを通って色とりどりの光が振り込んできます。まさに神の家。教会の権威を象徴するかのような演出に、昔の人もきっと圧倒され、恐れ入ったのでしょうね。
その後はお決まりのシャンパン工場見学。ランスの地下にはシャンパンを貯蔵するための数十キロの地下洞窟が彫られているそうで、どこまで続いているのか全く分からないひんやりとした薄暗い洞窟の中で、出荷の時を待って静かに眠っている大量のシャンパンボトルは圧巻でした。ワインは毎年ブドウの出来によって味が変わるため何年物かということが重要になってきますが、シャンパンというのはいくつもの異なる種のブドウを混ぜ合わせて作るため、ブレンドの組み合わせを変えることで創業以来の伝統的な味を維持し、ブドウの出来がどうであれ味を全く変えないというのが大事なのだそうです。そんな違いがあったとは知りませんでした。
ランス大聖堂とランスのシャンパンパンセラー
◆ヴォー・ル・ヴィコント城
4日目は現地のツアーに参加して、ヴォー・ル・ヴィコント城とフォンテーヌブロー宮殿に行きました。ヴォー・ル・ヴィコント城はルイ14世の財務長官だったニコラ・フーケが建てたお城です。フーケは非常に洗練された教養人で、若くて才能ある芸術家たちに惜しみない援助を与え、活躍の場を与えました。彼がパトロンとなった人には詩人のラ・フォンテーヌ、劇作家で俳優のモリエール、コルネイユ、画家のプッサン、ル・ブランなど後に大物となって活躍した人がたくさんいます。きっととても高い審美眼をもっていたのでしょうね。
この城も当時はまだ無名だった彼お気に入りの画家、造園家、建築家を採用して建てられましたが、そのあまりに豪華で素晴らしい出来栄えに、城を訪れたルイ14世は強い嫉妬心を抱き、なんとフーケは公金横領の罪で逮捕されてしまいます。臣下の身でありながらこんな城が建てられるなんて、不正をしない限りできるはずがないということですね。そしてルイ14世はヴォー・ル・ヴィコント城を作った画家、造園家、建築家たちを呼び寄せ、もっと巨大で豪華なヴェルサイユ宮殿を彼らに建てさせました。
実際のところフーケが本当に罪を犯していたのかはよくわからないそうで、22歳で親政を開始したばかりのルイ14世が、フーケの後に財務大臣となったコルベールと共謀して、目の上のたんこぶだったフーケに言いがかりをつけて排除した、というのが本当ところではないかと思います。というわけで、せっかく建てたお城にフーケはほとんど住むことなく、生涯牢獄に幽閉されました。日本語オーディオガイドから流れる史実は。まるでサスペンス映画のようにとてもワクワク・ドキドキするもので、お城を眺めながら様々な妄想に浸ってしまいました。
ヴォー・ル・ヴィコント城はフーケの高いセンスがいたるところに光っていて、実に洗練されていました。ヴェルサイユ宮殿は豪華で美しく、その荘大さに誰もが圧倒されますが、日本家屋のシンプルな様式に慣れている日本人にはちょっと自己主張が強すぎて、食傷気味な感じもします。でもヴォー・ル・ヴィコント城は、大きすぎず、小さすぎず適度に機能的、快適でいながら美しく、装飾も出過ぎず、控え過ぎず絶妙な塩梅で、主人の趣味のよさをあらゆるところで感じることができました。歴史に「もし」は禁物ですが、もしフーケが失脚せずに政権に生き残っていたら、フランス・バロック芸術はもっと違う形になっていたかもしれませんね。
ヴォー・ル・ヴィコント城とその庭園
ヴォー・ル・ヴィコントミューズの間
モリエールの喜劇「婿さん学校」が上演された。
◆フォンテーヌブロー宮殿
午後に訪れたフォンテーヌブロー宮殿は、中世時代からフランス王室の重要な拠点として使用された城で12世紀ごろからすでに存在していたそうです。それぞれの王やその妃、寵姫たちが自分の趣味によって工事を繰り返したため、16世紀から19世紀のナポレオンまで、様々な様式の部屋を一つの建物の中に見ることができます。中でもフランソワ1世の回廊は異彩を放っていました。ヴェルサイユ宮殿の鏡の間のような長細い部屋で、両方の壁には大きなフレスコ画が何枚も描かれ、巨大で立体的な彫像が額縁のように絵を飾り立てています。
写真で回廊を見たことはありましたが、実際に行ってみた印象は想像をはるかに超えていて、もうびっくりでした。激しく凸凹と飛び出ている額縁と長すぎる回廊に、最初は圧倒、途中で感心、最後は胸焼けを起こしてしまいました。特にフランソワ1世がかかわった部屋は他の場所も、とにかく全く壁が見えないほど絵や彫像で飾り立てられており、これと比べると、これまでちょっとやりすぎじゃないと思っていたヴェルサイユの鏡の間すら上品に思えてきました。それまでフォンテーヌブロー宮殿のような城しか知らなかったルイ14世が、ヴォー・ル・ヴィコント城に衝撃を受けたのも無理はありません。
マリー・アントワネットの部屋は彼女の趣味に合わせて、巨額をかけてロココ風に改装されたそうですが、一度もその部屋を訪れることなく、断頭台へと消えたそうです。16世紀から19世紀へ様式の変化を立て続けに見ていくと、大げさで重かった装飾が次第に軽くなり、曲線から直線へ移っていく過程がよくわかりました。私自身はルネサンスもバロックもそれぞれ大好きですが、それでも時代にそって趣味がだんだん洗練されていくなぁと感じるのは現代人の感覚でしょうか、それとも日本人?
上2枚はフォンテーヌブロー宮殿
フランソワ1世の回廊
中はフォンテーヌブロー宮殿の教皇の寝室と壁絵
下はファンテーヌブロー城のアントワネット
の寝室とナポレオンの寝室
◆カルナヴァレ博物館
最終日の5日目はそろそろ現代に帰ってこようかと、ピカソ美術館に行ってみましたが、なんと改装のため長期休館中で見ることができませんでした。仕方がないので近くにあったカルナヴァレ博物館に全く期待せずに入ってみたら、それが予想外に面白く、なんだかとっても得した気分になりました。
この美術館はパリ市立の歴史博物館で入場料は無料!パリ市民がどんな生活を送ってきたかということを展示した博物館で、美術的に価値の高いものはあまりありませんが、当時の市民の日常生活、お祭りの様子、どんな場所のどんなシチュエーションで音楽が使われていたか、などが分かる絵画がたくさんあって大変興味深かったです。
これまで資料やCDのジャケットでしか見たことのなかったようなルネサンス・フルートの絵画などもあり、こんなところに本物があったのかと大興奮でした。こういった資料的な絵画は本の中などで紹介されることはあっても、なかなか実際に展示されていることは少ないので本当に貴重な体験でした。
お祭りの様子を描いた絵画などは、あまりに大勢の人が小さく描かれていて、白黒の本から詳細を読み取のはが難しいことが多いのですが、ここでは舐め回すように微に入り際に入り念入りに観察して、楽師たちの姿を発見することができました。
「音楽の集まり(作者不詳)」
カルヴァナレ博物館
◆ル・ピュイ・アン・ヴレイ
その後は、バッハ・コレギウム・ジャパンのツアーに参加するためにフランス中部のオーヴェルニュ地方にある、ル・ピュイ・アン・ヴレイに行きました。この町にはスペインのサン・チャゴ・デ・コンポストラへ向かうキリスト教の巡礼道の起点の教会がある街で、切り立った岩石の上に立つ教会やマリア像、世界遺産の大聖堂がある風光明媚で素敵な町でした。今回はまずこの町に数日滞在してリハーサルを行いました。毎日快晴、快適温度の最高に良いお天気が続き、リハーサルスケジュールもかなりゆったりだったため、みんなヴァカンス気分で近所をお散歩したり、フランス・グルメを堪能したりしました。おかげでみんなの気力も十分みなぎり、集中力の高いリハーサルだった気がします。
最初の公演はル・ピュイからバスで30分程度の町ラ・シェーズ=デューで、音楽祭の一環として11世紀に建てられた、サン・ロベール修道院というところでカンタータを演奏しました。この音楽祭は、フランスではかなり有名らしく、ヴァカンスを兼ねて近くに長期滞在し、毎晩コンサートに来る人も多いそうです。
聖と俗の世界が明確に分けられていた中世の教会は、聖職者しか入れない内陣と、一般参拝者が入るための身廊(教会に入ってすぐのだだっ広いスペース)とが明確に分けられ、その間は内陣障壁という大きな壁で仕切られていました。つまり一般参拝者は、祭壇はもちろん、礼拝に出席しても聖職者たちの姿を見ることはできず、遠くからその声を漏れ聞いていただけだったのです。一般参拝者のためには身廊前方の高いところに小さな講壇(説教台)が作られ、そこから聖書の朗読や説教を聴くことができました。しかし宗教改革によって、次第にほとんどの教会では壁は取り払われ、一般参拝者も聖職者の行う礼拝に参加できるようになりました。
今回演奏したサン・ロベール修道院の教会には、その内陣障壁がまだ残されていて、内陣内の数百人の聴衆は祭壇で演奏している人の姿を見ながら聴くことができるけど、身廊の席の人は、壁の前に設置されたテレビ画面内の奏者を見ながら聴いていました。でも不思議なことに、音は上の巨大な空間を通って増幅され、内陣内よりもより身廊部の方が大きく聴こえた気がしました。
ル・ピュイ大聖堂(左)とル・ピュイ、サン・ミッシェル・デキレ礼拝堂(右)
ラ・シェーズ=デューのサン・ロベール修道院におけるBCJの演奏
シェーズ・デュー内陣、タペストリーで壁は飾られていて、音楽祭の間だけ公開される。
左はシェーズ・デュー身廊からの風景(正面左右の壁にテレビモニターがある)、右はオルガン柵装飾。
◆ラインガウ
その後ドイツに移動し、フランクフルトの近くのラインガウのエーベルバッハ修道院でマタイ受難曲公演を行いました。エーベルバッハ修道院は教会にしてはあまりに何の装飾もなく、がらんとしてだだっ広く寒々しい感じがしました。石がむき出しの壁にはシミが浮き出ていて、照明も薄暗く、会場へ向かう途中に通った部屋には、ほとんど真っ暗で何も見えないところに酒樽のような巨大なものがぼ~とみえ、なんだかとても怖い印象でした。何の予備知識もなくいってしまったので、いったいどんなところだったのだろうと帰ってから調べていみたら、11世紀頃建てられたけど、1803年には教会としては閉鎖され、現代ではドイツでは有数のワイナリーとして有名なのだそうです。それで薄暗いのも、だだっ広いのも、亡霊のような酒樽を見た気がしたのも、昼間から観光客がたくさんいて、立派なお土産屋があったのも納得できました。また映画「薔薇の名前」(1985年)のロケに使われたところだそうで、ああ、確かに映画も薄暗くて怖い雰囲気だったと思い出しました。修道院は何もない山の中にポツンとあったので、公演後に見た満天の星空は素晴らしかったです。
エーベルバッハ修道院(照明は本物のろうそくです)、下はその回廊。
◆ブレーメン
最後に訪れたのはブレーメンで、聖ペトリ大聖堂でカンタータとマタイ受難曲の2公演を行いました。ブレーメンの中央にある広場の一角は、大聖堂を初めとして北ドイツらしい重厚で大きな歴史的建物が立ち並んでいましたが、まるでおとぎ話にできそうにかわいい、昔ながらの小さな商店街を残した一角もあり、すべてがコンパクトにまとまっていて過ごしやすい町でした。マニアックなファクシミリをたくさん置いている楽譜屋さんがあり、ついつい散財してしまいました。
◆旅行を終えて
今回1ヶ月もヨーロッパにいて、そのうち2週間が仕事以外というのは本当に久しぶりでした。オランダ留学中は暇さえあれば貧乏旅行に精を出し、かなりいろいろな場所を回りました。年がたって再び訪れてみれば、一度行ったところでもそれはまた新鮮で、これまで見過ごしていたいろんなことが見えるようになった気がしますし、一方で日本での忙しさに紛れていつの間にか忘れていた大事なことを思い出したりもしました。やっぱり自分で見て、聞いて、肌で感じられる旅行はいいですね!
最近、ヨーロッパへの海外旅行に興味のない人が増えているそうで、西洋音楽を学ぶ学生ですら行く必要性を感じていな人もいます。「どうして」と聞くと、パリも、イタリアもテレビで見たことあって知っているし、テレビの方が自分で行くよりもっと貴重できれいな映像が見られるからだそうですが、本当にそうでしょうか。CDとライブのコンサートが違うようにやっぱり現地に行って、現地の目線で体感してみて初めて分かること、感動することはたくさんあります。忙しい日本、この厳しい経済状況の中、休暇を取ってヨーロッパにいくなんて贅沢、なかなか許されない現実があるのも事実ですが、日本のガラパゴス化現象・・・ちょっと心配です。
ブレーメン・聖ペトリ大聖堂、右は聖ペトリ大聖堂でのリハーサル