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インタビュー「ポール・ドンブレヒト」

アントレ(2010年1月)

 これは2009年の第11回福岡古楽音楽祭に招かれて来日したベルギーのオーボエ奏者ポール・ドンブレヒト氏に、音楽祭2日目の9月21日に、古楽情報誌「アントレ」の依頼でインタビューした記事です。かなり長いインタビューですが、「アントレ」のご了解を得て、全文転載させていただきます。

(「オーボエ・バンド」と「舞踏の諸相」の写真は今回の転載に際して補いました。音楽祭の写真は白石嘉毅氏による)

第11回福岡古楽音楽祭オープニングコンサートにおけるオーボエ・バンドの演奏。左端がドンブレヒト氏

オーボエバンド

 

前田りり子(以下M):驚いたことに今回が初来日だそうですね。日本はいかがですか。

 

ポール・ドンブレヒト(以下D):町がとても忙しそうで、みんなが私めがけて向かってくるような気がします。でもみんなとても親切で、親しみをこめて接してくれるのに驚きました。

 

M:今回は、福岡古楽音楽祭のために来日され、日本を代表するリード楽器奏者たちと共演されましたが、いかがでしたか。

 

D:とても素晴らしい演奏家、そして音楽家たちでした。素晴らしい人柄で、一緒に演奏できてうれしかったです。リハーサル、本番を通じてみんなの響きがひとつにまとまり、その紡ぎだされる音の素晴しさに驚きました。とてもまろやかで、存在感のある響きでした。

 

M:私も舞台袖からオーボエ・バンドを聴きましたが、華やかでとても楽しい演奏でした。今回のコンサートではほんの15分程度の演奏でしたが、一晩のコンサートを丸々オーボエバンドで演奏したりすることもありますか。

 

D:財政的に難しいので現実にはあまりできませんが、十分なオリジナルのレパートリーはあります。バラエティ豊かなコンサートを何度もできるほどではありませんが。昨晩したように弦楽器のレパートリーを編曲したりすることもできますし、例えばドイツの作曲家クリ―ガーは楽器指定のない曲を残しており、これはオーボエバンドに非常に向いています。その他、昨日のコンサートでもしたように、リュリのオーケストラ曲もありますし、有名なフィリドールの手稿譜の中にはリュリやその他の作曲家の曲も含めて、かなりたくさんの曲が残されています。しかし、残念ながらそれらはまず軍隊用の曲なので、ある意味では非常に限られたレパートリーとも言えます。

 

バロック・オーボエとの出会い

 

M:話は変わりますが、あなたの子供時代のことをお聞かせ下さい。あなたはどうしてオーボエを始めたのですか。

 

D:たまたまです。もともと私はピアノをしていたのですが、16歳の時、他の楽器もやってみたくなりました。

 

M:それまではプロのピアノニストを目指していたのですか。

 

D:私は音楽家になりたかったのです。でもその時はまだ、ピアノ奏者になりたいのかよくわかりませんでした。それで、別のこともやってみたくなり、まずファゴットを吹いてみようと思いました。バスがとても好きだったし、バスが分かるのは大事だと思ったのです。でも、私が行っていた学校にはファゴットの先生がいなくて、まずオーボエを習ったらどうかと勧められたのです。そしてオーボエを初めて数週間後、私はオーボエを主専攻にしてピアノを副科にすることに決めました。

 

M:それで、バロック・オーボエにはどうやって出会ったのですか。

 

D:バロック・オーボエに出会ったのはその数年後です。オーボエを始めてすぐに、私はその起源について興味を持ち始め、それを追跡してみました。また、私にはトラヴェルソのバルトルド・クイケンら、同じ興味を持つ同世代の仲の良い友達がいて、彼らと小さなグーループを作り一緒に切磋琢磨しながら成長していきました。そしてほどなく私は、現在ではほとんど手に入れることができない非常に貴重なリカルド・ハッカ作のオリジナルのオーボエを買うことができました。

 

M:フルートで現存しているのは1本ですが、何本ぐらいハッカのオーボエは現存しているのですか。

 

D:4~5本です。その当時はまた2本しか知られていませんでしたが。私はその楽器からたくさんのことを学びました。演奏方法やリードやチューブ(リードを差し込むための金属の筒)の作り方などです。ほとんど何の情報もないので、それは大変な仕事でした。たとえば運指表などは当時の本にも載っていますが、リードの作り方に関しては、本に載っている情報はあまりにも少ないのです。もうちょっと後、例えば100年後ついては少しあるのですが、1700年前後についてはまったくありません。だから本当に経験から探し出すしかなかったのです。

 

M リードについて書かれた秘密のノートを持っていると聞いたのですが・・・。

 

D:秘密のノートね。うん、私が何年もかけて得たリードやチューブのサイズなどについて書いたノートです。最初のころは今のように科学的に分析しながら作ってはいなかったので、残念ながらありません。私は理論的なシステムをいつも見つけようと努力しています。音響学にも関連させて、リードとチューブの関係について、それがどのように楽器に影響を与えるのかを研究するのはとてもおもしろいです。

 

M:オリジナル楽器からどんなことを学び、どんなインスピレーションを得ましたか。

 

D:楽器にはそれぞれ特徴があり、良いところも悪いところもあります。楽器は時代によって進化し、改変されてきました。しかし、改変によって失ったものもあります。何かを得たら何かを失うのです。モダン楽器には優れた機能がありますが、バロックの楽器には別の良さがあります。その響きはバロックの曲を吹く時に多くのインスピレーションを与えてくれますし、演奏仕方や、音楽の作り方についても同様です。それは歴史についても言えることで、音楽が変わることによって楽器も変わっていきます。新しい作風の曲が求められ、それに対して新しいテクニックが必要にあります。だから楽器もその変化に従わなければならないのです。

 

M: 逆に楽器が変わるから作風が変わることもありますよね。

 

D:もちろんです。たとえば初期ロマン派の曲には低音から高音に向けての大きな跳躍音にスラーがつけられていることがありますが、それを吹くにはそれにはそれまでなかったオクターヴ・キーが必要になりました。

 

古楽のパイオニアの時代

 

M:古楽復興が1960年代に盛んになってきた時、バーゼルのスコラ・カントールムやイギリスが中心地のひとつとなりましたが、それに加えてベルギーで盛んになったのはなぜだと思いますか。

 

D:全然分からないです。もちろんスコラなどに一つの中心地があり、その前にヴェンツィンガーらがおり、オランダにはレオンハルトがいました。彼らは偉大な人たちで大きな影響力がありました。

 

M:あなたは若いころに彼らの演奏を聴いて、古いオーボエにも興味を持つようになったのですね。

 

D:そうです。ブリュッヘンもいましたね。そしてシギスバルトやバルトルド・クイケン、もちろんロベール・コーネンも。

 

M:つまり素晴らしい同僚たちに恵まれたので古楽に興味を持ち、バロック・オーボエをはじめたのですね。

 

D:まさにその通りです。バロック・オーボエはその当時とても新しいものでしたが、彼らの支えがあったからこそ今の私があるのです。

 

パルナッソス・アンサンブル

 

M:私もそんな熱い時代を一緒に感じたかったです。とても特別な時代だったのでしょうね。パルナッソスアンサンブルはあなたの初めてのバロック・アンサンブルだったのですか?

 

D:そうですね。でもその後すぐに私はラ・プティット・バンドに参加しました。

 

M:プティット・バンドはもっと後かと思っていたのですが。

 

D:そんなことないですよ。1972年か3年のことです。でもパルナッススの方が先でした。

 

M:どうやってリハーサルをしていたのですか。みんなで図書館に行ってとりあえずいろんな曲を試してみて、「ラモーって誰?知ってる?すごい曲だなぁ」なんて情景が目に浮かびますが。

 

D:まさにその通りです。とても面白い時期でしたね。ものすごくたくさんのリハーサルをしましたが、コンサートはほんの少しでした。でもそれで良かったと思います。最初の頃の演奏はあまり聴けたものではなかったと思うので。でも割と早い時期から周りの人からの支持を受けることができました。例えば、私は自分のアンサンブルの卒業試験では、パルナッソス・アンサンブルのメンバーで演奏しました。

 

M:その当時あなたはモダン・オーボエの生徒だったのに、バロック・オーボエで試験を受けたということですよね。

 

D:そうです。先生方がそれを許し受け入れてくれたというのは素晴らしいことだったと思います。

 

M:ということは、当初からベルギーの他のオーボエ奏者や先生方もバロック・オーボエを使うことに賛同していたのですか。

 

D:主にアンサンブルの先生方は非常に興味を持ってくれましたが、オーボエの先生たちは、そんなもの知らない方がいいし、吹かない方がいいと思っていました。

 

M:それはバロック・オーボエを吹くことでモダン・オーボエが上手に吹けなくなると思ったからですか。

 

D:それよりももっと音楽的な観点からだと思います。

 

M:最初はすべて手探りの状態だったと思いますが、どうやって知られざる名曲を探し、バロックの演奏習慣を見つけていったのですか。

 

D:やはりこの最初の何年間かというのはとても重要な時期でした。パルナッソスは4人のグループで、トラベルソのB.クイケン、チェンバロのJ.ヒュイス、チェロのR.ファン・デル・メールです。私たちはいつも一緒で、ご飯もよく一緒に食べたし、特にフランス音楽の特別な演奏方法についていろいろ話し合いました。だけど、多くのことはオトテールやクヴァンツ、レオポルド・モーツァルトなど当時の書物に書いてありました。

 

M:でも書物に書いてあることはほんの一部です。どうやってその行間を埋めたのですか。

 

D:もちろんそうなのですが、その点ではオリジナルの楽器を吹いてみるということが役にたちます。本から得たものを練習の段階でどのように活用するのか、楽器自身が本に書かれていることに私たちを導いてくれます。特にアーティキレーションについてなど、クヴァンツの本にいろんなヴァリエーションのタンギングが書かれています。それを実際に楽器で使ってみれば、楽器自体が助けてくれます。もしそれをモダンの楽器でしようと思ったらもっと難しくなります。

 

モダン・オーボエとバロック・オーボエ

 

M:古楽奏法というものもここ数十年でずいぶんと変わってきたと思います。18世紀と21世紀の社会環境の違いからどんなに努力したとしても当時の演奏の完全な再現はあり得ません。あなたはずっとその流れを見てこられたわけですが、その変化をどう思われますか。また、今の若い古楽奏者たちは何をすべきなのでしょうか。

 

D:いつも物事というものは変化し続けるもので、それはいいことだと思います。大事なのは、音楽においても現実とコンタクトを取り続けるということで、危険なのは現実との関連が失われることです。今の世で行われているように音楽とは感じたままに何をやってもいいという人は古い楽器なんかを手に取る必然性はなくなります。この場合はモダンの楽器で演奏した方がいいでしょう。でもあなたが古い楽器で古い音楽を演奏したいなら当時書かれた資料にいつも帰ることが必要です。でもそれは真似をすることではなく、そもそもその当時の演奏を真似することは既に不可能ですからそこが目的なのではなく、その当時の精神を音楽の中に取り込むことが大事なのです。だからこそ、若い人達にも古い資料に立ち返ってほしいと思います。

 

M:若い人にとって先生から何かを学ぶということや、CDの演奏を真似することはある意味簡単なことですが、自分自身で当時の資料に立ち返り、そこから何かを読み取ってほしいということですね。

 

D:そうです。先生は生徒自身が自分の意志で曲を解釈できるように、つまり生徒自身が資料に立ち戻って自分で考えるように指導すべきです。もしかしたらその結果先生とは全く違った結論を考えるかもしれませんが、自分ですることに意義があるのです。

 

M:あなたはモダン・オーボエをブリュッセルの王立音楽院で教えていらっしゃいますよね。モダンとバロックのオーボエの持ち替えは難しくないですか。

 

D:わたしにとっては全く問題ありません。私は最初からずっと二つの楽器を両立して吹き続けてきました。16歳でモダンを始め、19歳でバロックを始めました。初めの頃から私はいつも頭が混乱しないように、はっきりした区別をしていました。

 

M:モダン・オーボエでバロックの曲を吹く時は、まったく違う様式で演奏するのですか。

 

D:はっきりしているのは、影響はあるということです。バロックの様式がモダンの演奏に影響を与えていますが、それはいい意味での影響です。

 

M:例えばタンギングはどうですか。クヴァンツのタンギングをモダン・オーボエに応用しますか。

 

D:それは難しいです。楽器により大きな抵抗があり、柔軟性も少し落ちますから。でもそれ以外の音楽的なこと、例えばフレーズの取り方などバロック・オーボエで学んだことはそのまま応用できます。一般に言えることですが、古楽の奏法はモダンの奏者やその演奏方法に大きな影響を与えています。もし、この古楽復興の動きがなかったとしたら、モダン楽器における音色や音楽づくりはかなり違ったものになっていたのではないでしょうか。

第11回福岡古楽音楽祭でのリサイタル。チェンバロのコーネン氏と

イル・ファンダメント

 

M:あなたが主宰するオーケストラ「イル・ファンダメント」についてお聞かせ下さい。あなたはオーボエ奏者であり、指揮者でもあるわけですが、どのようにしてオーケストラを始めたのですか。

 

D:私は15年間ラ・プティット・バンドで吹き、とても楽しかったし、素晴らしい体験をたくさんしました。でもだんだん自分でしたいことが出てきました。ちょうどその頃、私はルーヴァンで教えていたのですが、そこの卒業を目前に控えたモダン・ヴァイオリン奏者たちが古楽器にとても興味を持っていて、私たちは一緒に演奏をすることにしました。1989年のことです。

 

M:あなたのオーケストラは今年20周年を迎えるそうですね。おめでとうございます。20年も続けるというのは大変なことだと思います。

 

D:そうです。そこが本当に素晴らしいところで、1989年に始めた時のメンバーが今でも14人もオーケストラで演奏しています。

 

M:14人も!!それはプロジェクト・オーケストラとしてはなかなかないことです。素晴らしいですね。最初は皆さんモダン・ヴァイオリンで古楽奏法を試したのですか。

 

D:いいえ違います。彼らは古楽器を弾いたことがありませんでしたが、最初のリハーサルからバロック・ヴァイオリンを弾いています。

 

M:なるほど、あなたが彼らをゼロからバロック・ヴァイオリン奏者として育てたのですね。

 

D:そうです。そうやってオーケストラは始まり、私はそこでほんの少しヴァイオリンの先生にもならなければなりませんでしたが、長い間ラ・プティット・バンドにいてヴァイオリン奏者が何をやっているか見ていたから、みんなに助言して、成長していくことができました。

 

M:あなたはオーボエを演奏する時と指揮をする時で自分の中に何か違いはありますか。

 

D:いつも同じメンバーと一緒に演奏しているから、お互いよく知っているし、みんな私のやり方をよくわかっています。だから一緒に合わせて演奏するのはそんなに難しいことではありません。バロックの器楽曲を演奏する時は、私は自分の席でオーボエを吹いています。でもオラトリオや古典派のプログラムをする時、例えば交響曲やオペラなどの時は指揮に集中しています。

 

M:これまで一度も日本でイル・ファンダメントの公演がなかったというのはとても残念ですね。日本のファンはきっとみんな待っていると思います。どんなレパートリーをこれまで演奏、録音してきて、これからどんな曲を演奏する予定があるのか、お聞かせいただけますか。

 

D:私たちはこれまでドイツの曲を多く演奏してきました。特に北ドイツの音楽です。テレマン、バッハはもちろん、ファッシュなどです。ときどきフランス音楽もします。

 

M:どうして北ドイツの音楽なのですか。

 

D:この地域には非常に豊かなオーケストラ音楽が残されています。ドレスデンには素晴らしいオーケストラがあり、音楽の中心地のひとつでした。そして図書館も重要です。私は何度もドレスデンの図書館に行きました。もう一つ興味深い図書館はダルムシュタッドです。

 

M:テレマンの楽譜がたくさんある図書館ですよね。

 

D:そうですね。テレマンもたくさんありますが、その他に重要なのはグラウプナーです。ありがたいことに、彼は自分の同僚の曲を筆写していて、たくさん残してくれました。ダルムシュタッドのテレマンの楽譜の多くもこのグラウプナーの筆写によって残されています。もちろんグラウプナー自身も素晴らしい作曲家ですけどね。

 

M:来年の予定はいかがですか。

 

D:テレマンのオラトリオや、グラウン、テレマン、ファッシュ、ヘルテル、ファイフェなど無名の作曲家たち、そしてバロックの古典派の間に位置するツェルプスなどです。彼の作品はブリュッセルの図書館にたくさんの楽譜が残されています。

 

ブリュッセル楽器博物館のオーボエ

 

M:そういえば、昔はブリュッセルの楽器博物館の管理はゆるくて、オリジナルの楽器を借り出して、かなり自由に演奏することができたと聞いています。あなたもいろいろ吹いてみましたか。

 

D:そうですね。今でもピッチを調べるために、博物館内でたまに演奏することがあります。

 

M:ピッチですか。フルートなどの管楽器と違って、オーボエはリード次第でピッチが変わるので正確なピッチを知るのは難しいと思いますが・・・。どんなリードで試し吹きをするのですか。

 

D:いろんなタイプのリードをとりあえずたくさん持っていって、取っ換え引っ換えしながら一番あうリードを選びます。

 

M:どんなオリジナルのオーボエがブリュッセルの楽器博物館にはありますか。

 

D:ロッテンブルグ、オトテールなどです。

 

M:あなたのお気に入りは?

 

D:I.H.ロッテンブルグ(ベルギー)やクラシックではグレンザー(ドイツ)などです。

 

M:オトテールとI.H.ロッテンブルグのオーボエの差は何ですか。

 

D:ピッチはI.H.ロッテンブルグもかなり低くて392~5Hzぐらいで、オトテールも同じです。ですから音色もそれほど大きな違いはありません。もう少し新しいビゼー(フランス)のオーボエもありますが、ピッチはやっぱりかなり低いままで、とても興味深い音がします。

 

M:ドイツのデンナーなどと比べるとフランスとベルギーの楽器は同じ傾向を持っていると思いますか。

 

D:そうですね。ロッテンブルグはもっとフランスよりで、デンナ―はもっと重いです。指穴も大きいし音も大きいし。フランス系の楽器はもっと小さくて優雅だけど、充実した豊かな響きがします。イギリスの楽器も強いフランスの影響を受けています。ステンズビーなどほとんどフランスの楽器だと言ってもいいでしょう。ブラッドベリーや、フランスからイギリスに移民したぺジーブルなどもそうですだから初期のイギリスの楽器はフランスの強い影響を受けていると思います。

 

M:あなたは現在どんな楽器を使っていますか。

 

D:スペイン人パウル・オリオロスが作ったステンズビーのモデルです。コピーの楽器についてはいろいろ問題があります。ほとんどの当時のオリジナル楽器はピッチが低く、オリジナルのステンズビーは a=405Hzぐらいです。

 

M:フルートのステンズビーは417ぐらいあるのですが、オーボエは低いですね。

 

D:それってどっちのステンズビー?

 

M:ジュニアです。ああ、あなたのおっしゃるステンズビーはシニアですね。

 

D:そうです。フランスからイギリスに新しいオーボエが渡ったばかりのころの楽器です。だからピッチはかなり低めです。フランスもそれぐらい低いピッチが使われていたかは分かりませんが、オペラなどではかなり低かったと思われます。

 

音楽家であるということ

 

M:つい面白くってイル・ファンダメントから話が大分離れてしまいました。話をイル・ファンダメントに戻しましょうね。メンバーの多くはベルギー人ですが、あなたは自分のオーケストラにベルギー人しかできない何か特別なものがあると思いますか。

 

D:ベルギー人の音というか、私たちのオケには独特の響きがあります。メンバーが変わらずにグループとして長年やってきたからこそ出る音です。

 

M:それはどんな音ですか。

 

D:うーん、自分で言うのは難しいですね。音には非常に方向性があって旋律的です。どんな意味か分かりますか。

 

M:まるで歌のような訴えかける力があるということですか。

 

D:そうです。私にとって重要なのは音が常に変化し続けることです。そうでないとフレーズを言いなおすことができませんし、アーティキュレーションをはっきりさせることができません。音作りとアーティキュレーションのバランスが重要なポイントです。ラジオを聞いた人がすぐにイル・ファンダメントの演奏だと分ったよ、とよく言われますが、この2つの点が特徴的だからみたいです。

 

M:あなたのお父さんはオルガン奏者で合唱指揮者でもあったと聞いています。あなたは彼の影響を受けていると思いますか。

 

D:もちろんです。私は4,5歳のころ、オルガンを演奏する彼の横に座ってどうやって楽譜を読むのかを学び、彼の楽譜をめくりながら音楽を学びました。

 

M:まさしくバッハの時代のようですね。その時すでに自分のオーケストラを作って指揮したいなんて想像したりしていましたか。

 

D:オーケストラを作ろうなんて思っていませんでしたが、音楽家になりたいとは思っていました。

 

M:音楽家になるってあなたにとってどういうことですか。

 

D:うーん・・・。音楽家であるということは感覚を表現することだと思います。

 

M:音楽家になるために私たちは何をすべきなのでしょうか。

 

D:まず何を伝えたいのか、何を伝えることができるのかを自分で考えることです。それは先生の仕事でもあります。先生は生徒自身が自分のやり方を自分で見つけられるように、生徒が自分自身の先生になれるように、そして生徒が聴衆のどんなメッセージを送るべきか、自分で考えられるように導くべきです。

第11回福岡古楽音楽祭オープニングコンサートのフィナーレ、全員出演によるルベル「舞踏の諸相」の演奏

福岡古楽音楽祭

 

M:最後の質問ですが、福岡古楽音楽祭にいらしてみていかがでしたか。

 

D:とても素晴らしい雰囲気の音楽祭です。一緒に演奏した音楽家も、音楽祭のボランティアスタッフもみんないい人たちでした。リハーサル中もみんなフレンドリーで、本当によかったです。私に対してだけでなく、働いている人たちの間の関係もとても親切で、やる気にあふれ、お互いのことを気遣っているのが素敵で、とてもいい経験でした。

 

M:先日私たちはオープニングコンサートでルベルの「舞踏の諸相」を演奏しました。4本のリコーダー、4本のフルート、4本のオーボエと2本のテナーオーボエ、2本のファゴットそしてたった3人のヴァイオリンとチェロと、ガンバと2台のチェンバロ、ヴィオラはなし、なんてオーケストレーションはそうそうないとので、かなり貴重な体験だったと思います。とっても楽しかったですよね。

 

D:うん、本当に楽しかった。こういうたぐいの曲はどんな楽器の組み合わせでも演奏できます。もちろんもっとたくさんヴァイオリンがいてもよかったけど、テナーオーボエが十分にヴィオラの代わりを果たしていたし、全体としての響きはすごく美しかったですね。私もとても好きでした。

 

M:本日は楽しいお話しありがとうございました。また日本であなたの演奏が聴ける日を楽しみにしています。

 

2009年9月21日 福岡市あいれふホールの控室にて 取材協力:18世紀音楽祭協会

◆ポール・ドンブレヒト(Paul Dombrecht、オーボエ)

 

1948年、ベルギー生まれのオーボエ奏者、指揮者。初期の頃からヴィーラント・クイケン、ロベール・コーネン氏らフランドルの古楽派の人たちと共に活動し、多数のレコーディングも行っている。また1989年にはバロックオーケストラ「イル・フォンダメントIL FONDAMENTO」を創設して、その音楽監督、指揮者を務め、世界各地で演奏を行っている。J.S.バッハの「ヨハネ受難曲」、ヘンデルの「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」、テレマンやヴィヴァルディのオーボエ協奏曲集など多数のCDがパッサカリア・レーベルから発売されている。ブリュッセル王立音楽院の教授を務め、スペインやイタリア各地のマスタークラスの講師を務めている。

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