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2007夏ヨーロッパ旅行記(2007年9月)

 7月26日から8月13日までヨーロッパに行ってきました。バッハ・コレギウム・ジャパ ン(BCJ)のドイツとイギリスでのコンサートが主な目的でしたが、その前後にスウェーデンやフランスでも少し遊んできました。いつものBCJツアーだと、渡欧前に日本でリハーサル、帰国後に日本でコンサートというパターンが多く、仕事にかこつけてついでに遊んでくるということがなかなかできないのですが、今回は器楽メンバーの多くが欧州在住者だったため現地リハーサル、現地解散となり、久しぶりに純粋な観光を一人で楽しむことができました。といっても、BCJが予算削減のために現地の人をかき集めたわけではありませんよ。現地メンバーは寺神戸亮さんをはじめとするヨーロッパで活躍する日本人奏者 や、留学中のメンバーなどよくBCJで演奏している人たちばかりで、改めてBCJメンバーの層の厚さ、国際性の豊かさに感じ入りました。

 

◆スウェーデンのドロットニングホルム宮廷劇場

 BCJツアーの前に遊びに行ったのはスウェーデンのストックホルムです。福岡古楽音楽祭をやっている18世紀音楽祭協会が主催する「第3回ヨーロッパ古楽の旅」が、世界遺産ドロットニングホルム宮廷劇場でモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」を見るというので、最初の3日間だけツアーに便乗させてもらいました。ヨーロッパはオランダ留学中からかなりいろいろな場所を訪れましたが、どうも北欧とは縁がなく今回が始めての訪問です。

 現在のスウェーデン王室が今も住んでおられるドロットニングホルム宮殿はストックホルムの郊外にあり、宮廷劇場は18世紀に建築された当時のままの状態で残っています。フリードリッヒ大王の妹ロヴィーサ・ウルリカがスウェーデンに政略結婚でお嫁に来た際、王からこの宮殿をお祝いにもらいました。彼女はスウェーデンの文化の低さを嘆き、宮殿の横に新しい宮廷劇場を建てました。ヴェルサイユなどの宮廷劇場などと比べるとかなり質素な木造建築で、ボックス席はほとんどなく、平土間には舞台が見やすいように傾斜がつけられていました。舞台の幅は8.8mと小ぶりですが奥行きは19.80mもあり、奥に向かって4%の傾斜がついています。座席数は454人。劇場らしく残響はあまりありませんでしたが、発音は非常に明瞭で、私の座席はかなり後ろの方でしたが、歌、器楽ともに全ての音が細やかなニュアンスまでしっかりと聞こえてきました。難点は防音が全くされていないため、公演中も劇場の回りに広がる庭園で遊ぶ子供たちの声がとてもよく聞こえてしまうことでしょうか。

 オペラは宮廷劇場に所属するオーケストラと歌手たちによって上演されました。とてもオー ソドックスな演出で、最初から最後まで安心してオペラを楽しむことができました。オケの団員の中に、BCJでもお馴染みのチェロ兼ガンバ奏者の山廣みめさんがいました。彼女によるとこの劇場は暖房設備がないため5月から8月までしか使えず、その期間中は毎年バロックから古典期の様々なオペラを古楽器のオー ケストラで上演しているそうです。

 この劇場でまず驚いたのは、劇場内が大変暗かったことです。本物のろうそくはさすがに世界遺産なので使えませんが、できる限り当時の状況を再現するために、ろうそくの炎に似せた特殊な電気のみを使用しており、昼間に急に劇場内に入ると目が慣れるまで真っ暗でなにも見えないほどでした。舞台上は当時のろうそくの光よりはやや明るい照明を用いているそうですが、それでも現代のスポットライトに慣れた目で見るとかなり暗めで、舞台上の色彩が全然違って見えました。聴覚、味覚など全てにおいて刺激の多い現代ですが、視覚も知らず知らずのうちに強い刺激にならされ、麻痺してしまっているのかも知れませんね。

 この劇場で一番感激したのは舞台転換の速さです。18世紀の舞台には舞台の両端と上に背景を現す「描き割り」といわれる絵があります。舞台を囲む額縁みたいなもので、この絵が変わることにより、天上や地獄、農村や宮殿など、舞台上の場面が変 わります。舞台の奥行きを強調するため、「描き割り」は通常何枚か重ねてあるのですが、この劇場では上左右それぞれ6枚の「描き割り」がありました。それがそれぞれレールやロープ、歯車によってつながれていて、それを人力で動かしています。転換の場面ではこの上左右計18枚の「描き割り」がいっせいに変わるのですが、その速いこと!現代の機械式なんて全然目じゃないほどの速さです。たった数秒の間に舞台は田園から地獄へとあっという間に変わっていました。てい

 スウェーデンではその他、ノーベル賞授賞式が行われる市庁舎の見学や石畳の残る旧市街の散歩なども楽しみました。

ドロットニングホルム宮殿の一角に残された宮廷劇場

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ドロットニングホルム宮廷劇場の平面図。

舞台の奥行きの深さにご注目下さい

ストックホルム市庁舎は立派な建物で、全面金箔のモザイクでできたこの大広間では毎年ノーベル賞受賞者のレセプションが開かれるそうです

◆ あれっ、パスポートをなくなってる!

 ブルージュの古楽祭に向かう福岡古楽祭ツアーの方々とはストックホルムの空港で別れ、私 は楽器の調整をしてもらうために、フルート製作家の工房があるオーストリアのインスブルックに行くはずだったのですが、飛行機に乗り込もうとしたら、なんとパスポートだけがどうしても見つからないのです!飛行機にチェックインする時までは確かにあったはずなのですが・・・。真っ青になって探したのですが結局見つからず、もちろん飛行機にも乗せてもらえず、途方にくれる事態に陥ってしまいました。その日は日曜日だったため、当然全ての官庁はお休みで、航空会社 の人からは明日大使館に行って再発行してもらってきなさいといわれたのですが、日本大使館はすばらしい !! 日曜日でもとても丁寧に対応してくださいました。

 昔はパスポートをなくすと、再発行まで1週間ぐらいはかかっていましたが、最近はテロの 関係もあり、戸籍謄本さえあればかなりすぐ発行してもらえるそうです。事情を察していただいた大使館の素早い対応で、幸いにも翌日には無事スウェーデンを脱出することができ、BCJのリハーサルには遅刻せずに合流することができました。

 

◆BCJのドイツ公演

 BCJのドイツ公演は、シュトゥットガルドから電車で40分ほど東に行ったシュヴァービッシュ・グミュントで1回と、そこから北東に100kmほどのアンスバッハで2回ありました。プログラムは全てマタイ受難曲です。

 シュヴァービッシュ・グミュントはとてもこじんまりした静かな田舎町で、2日間の現地リ ハーサルもあったため、まるでヴァカンスに来たかのように、久しぶりにゆったりとした時間を過ごしました。コンサートはゴシック様式の大きな教会で行い ました。十字型になっているゴシック教会は舞台が十字の真ん中に設置されることが多く、音が左右や後ろ、頭上のドーム状の高い天井などに吸い取られて、客席の方になかなか行ってくれないことが多いのですが、この教会は長方形でかなり素直な響きがしました。

 アンスバッハでは2年毎にバッハフェスティバルが行われており、BCJは2年前のドイ ツ・ツアーに続いて2度目の参加です。前回のロ短調ミサ曲の反応が非常によく、「ぜひ次回にまた来てくれ」とすぐに決まった話らしいですが、今回も2回とも大 入り満員で、大いに盛り上がりました。会場となった聖グンベルトゥス教会は白と水色を基調としたとても可愛らしいドイツらしい教会で、音響も抜群です。 残響は多すぎず、少なすぎず、会場は広すぎず、狭すぎず、コンサート専用ホールでもなかなかないほどのすばらしい響きがしました。

 今回のマタイは、ヴァイオリンは各パート2人、ヴィオラ以下は各1人、第1合唱はソリストを含めて各パート2人、第2合唱はソリスト含めて各パート3人とかなり小数精鋭でした。そのためか、表現のニュアンスの幅がより繊細で広く、これまでの中で 一番ドラマ性が強い演奏になったような気がします。毎年のように何度もやったことのある曲ですが、改めて歌詞と音楽の関連性の豊かさや、劇の要所に配置されるコラールの重要性などに気づかされました。

シュヴァービッシュ・グミュントの教会におけるBCJ

アンスバッハの聖グンベルトゥス教会におけるBCJ

◆ロンドンのプロムス

 

 ロンドンでは毎年夏にプロムナード・コンサート、通称プロムスというコンサートシリーズが行われます。100年以上続く音楽祭で、毎日1~2つのクラシックのコンサートが6千人収容できるロイヤル・アルバートホールを中心に100以上、8週間 も続けられ、公演は全てBBCのラジオで生中継されます。当日に売り出される平土間の立見席は5ポンド(約1,250円)と通常のコンサートに比べてかなり 安いため非常に人気があり、公演によっては徹夜で並ぶ人がいるほどです。今回BCJはこの由緒あるプロムスに参加し、バッハのカンタータ78、179、 200番とミサ曲ト長調BWV236を演奏しました。フルートが入っているのは78番だけでしたが。

 6千人のホールということで一体古楽器で何ができるのだろうとドキドキしながら行ったの ですが、さすが名のあるホールは違います!もちろん、古楽にベストなホールとは言えませんが、かなり細かいところまでちゃんと後ろまで聞こえていてびっくりです!自分で吹いていたらよく分かりませんが、オケの中で一番音が小さいフルートも、歌と一緒でもちゃんと聞こえたそうです。不思議ですね。それぞれの楽器の音は分離して聞き取れるけど、全体としてのまとまりもけっして欠いているわけではなく、モダンの大編成のオーケストラにはきっととてもいいホールなのだと思います。まるでローマのコロッセオのような円形のホールで、平土間の真ん中にはなぜか噴水があり、おもちゃの恐竜やワニが浮いていました。

 BCJのコンサートは夜10時から始まるその日2つ目のコンサートだったこともあり、大入り満員というわけではありませんでしたが、全員立ち見の大広土間はかなりの人であふれていました。

6千人収容できるロンドンのロイヤル・アルバートホールにおけるBCJ

◆フランスおのぼりさん旅行 1日目  ~パリ~

 BCJのドイツ・イギリスツアーの後は、一人でフランスに遊びに行ってきました。訪れたのは、ルーブル美術館、ヴェルサイユそしてロワール川の古城めぐりと、まるで初めてヨーロッパに行く観光客のような旅行でした。ルーブルに行くのはたぶ んこれで3回目、ヴェルサイユも10数年前に行き今回で2度目なのですが、ここ数年、ロココのソロCDや、東京文化会館のレクチャーのために18世紀のフ ランスについて調べる機会が多く、画集や資料をみているうちに、どうしても本物がもう一度見てみたくなってしまったのです。結果は・・・やっぱり本物はすごい !!

 1日目はイギリスからユーロスターでパリに移動し、それからまずパリの楽器博物館に向かいました。私が留学中はちょうど建替え中で見られず、完成後はフランスに行く機会がなくてまだ行ったことがなかったので、今回の旅行ではとても楽しみにし ていました。ところが行ってみたら、なんと9月までお休み!下調べをしていなかったのも悪いのですが、本当にがっかりです。仕方がないので、18世紀のドレスがあるという衣装博物館に行ったらやっぱりこれも9月までお休み!パリはこの観光シーズに一体何をやっているのでしょうね。この日は博物館めぐりをあ きらめ、シャンゼリゼやセーヌ川周辺をぶらぶらと散歩して、CDや本を買いあさりました。古楽のCDに関して言えば、フランスで今一番人気があるのはサヴァールのようです。どこのCD店もサヴァールのコーナーができていました。

 

◆フランスおのぼりさん旅行 2日目 ~ ルーブル美術館~

 2日目は待ちに待ったルーブル見物。画集で見たあの絵にもこの絵にも出会えるとウキウキ しながら出かけたのですが、なんと一番楽しみにしていた18世紀フランス絵画の一角だけが閉鎖中!もうショックです。どうも今回の旅行は運がありません。 でも仕方がないので気を取り直して、イタリア・スペイン絵画やフランスの17世紀の絵画などを朝9時の開館から18時の閉館までお昼ご飯も食べずにじっくり堪能しました。

 やっぱり本物の絵は、画集とは全然違いました。画集でももちろん絵の構造は変わらないわけですから、ある程度の作者の意図は読み取れるわけですが、実際の絵からにじみ出る迫力、そして繊細なニュアンスは全く別物のようでした。CDとライブコンサートの違いのようなものでしょうか?思っていた以上に大きくて説得力ある作品、逆にとても小さくてびっくりした作品など様々ですが、特に今回は事前に画 集で自分勝手なイメージを作り上げてしまっていたので、本物とのギャップは想像以上でした。

 今さらですが、ルーブル美術館は本当にすごいです。日本なら2,3枚あればそれだけで展覧会が成りたってしまうクラスの絵がごろごろとあふれかえっているにもかかわらず、モナ・リザなどの一部の特殊な絵を除けばお客もそれほどいなくて、自分 の好きな絵を好きなだけじっくりと鑑賞することができます。特に17世紀フランス絵画のコーナーなどほとんど人もおらず、思う存分堪能できました。これだけの絵を集める基礎を作った17、18世紀のブルボン王朝はさすがですね。

左:ラ・フェートのCDに使ったル・シュウールの「ミューズたち」、右:「フルートを持つ片目の男」

◆フランスおのぼりさん旅行 3日目 ~ヴェルサイユ~

 3日目はルイ14,15世の栄光をもとめてヴェルサイユを訪れました。建物自体の印象は前回訪れた時とそれほど変わりませんでしたが、今回強く感じたのはヴェルサイユ宮殿が、フランス王家が生活するために建てられた王家の住居だったということです。

 宮廷といえば政治の中心であり、現在の国会や内閣府のようなもので、宮殿とはそのような 宮廷が機能するための建物というイメージがなんとなく私の中にあったのですが、ヴェルサイユ宮殿の中心はあるのは王や王妃の寝室で、その周りは王族と愛妾のための寝室、食事、ゲーム、ダンス、コンサートなどをするための部屋、つまり王家のダイニングとリビングルーム、そして警備や貴族の待合室で囲まれていま す。つまりヴェルサイユ宮殿はまず王自身とその妻、子供たちとその嫁、孫、ひ孫にいたる王の家族が寝食をし、子供を育むための生活の場であり、政治や経済の要職にある貴族や官吏たちは会議室で話し合いをするためではなく、謁見の間つまり客間にいる王にお伺いをたてるために王の自宅を訪れているわけです。

 ルイ14世時代のヴェルサイユでは最低でも週に3日夜会が催され、その他にもコンサートや狩、劇や舞踏会など様々な催し物が行われていたそうです。今まで私は宮廷、すなわち王を頂点とするフランス政府の公の機関がそのような催しを行っているようなイメージを持っていたのですが、宮殿を王の自宅と捉えると、そのイメージは全く違ったものになることに気がつきました。規模が大きいとはいえ王は自宅に客を招き、自分の財産、自分の召使を使って客をもてなしているわけで、王に嫌われた人は当然招待されず、その結果政治や経済活動に参加すること ができなくなります。王と個人的な知己を持つことが何よりも大事だったという絶対王政の真の姿が、ヴェルサイユ宮殿でちょっと垣間見えたような気がしまし た。

 

 ヴェルサイユでもう一つとても面白いと思ったが庭園です。前回はほとんど庭を散策する時間がなかったのですが、今回は自転車を借りて広大な庭の隅々まで走り回ってみました。今まであまり庭園には興味なく、きれいな花が咲いているぐらいの印象しかなかったのですが、ヴェルサイユの庭園はとても多様ですばらしかったです。幾何学模様にレイアウトされた美しい庭や東屋、どこまでも続く並木道、手入れの行き届いた木立、バリエーション豊かな泉、噴水、滝、彫像、広大な運河、見ることを意識して作られたとても可愛い農村や菜園、なだらかな傾斜を利用した林、豊かに生い茂る自然な森など、どこをとっても同じ景色はないといえるほど様々な景色が広大な敷地内に広がっていました。

左:ヴェルサイユ宮殿の中の礼拝堂

上:マリー・アントワネットが作ったヴェルサイユ庭園内の田舎屋

◆フランスおのぼりさん旅行 4日目 ~ロワール川古城めぐり

 最終日となる4日目はロワール川古城めぐりの現地ツアーに参加し、ロワール川流域に点在するお城の中から3つを見学してきました。まず最初はレオナルド・ダ・ヴィンチのお墓があるアンボワーズ城です。

 16世紀頃まで、フランスの王様は一つの定まった居城をもたず、フランス各地に点在する お城を宮廷全てひきつれて順に廻っていました。王自身が直接各地を廻って税を徴収し、各地の有力者とのつながりを堅固にし、地方に目を光らせることでフランスという国は成り立っていたわけです。自分が出向かず、各地の有力者をヴェルサイユに呼び寄せたルイ14世の力はすごいですね。宮廷はベットや箪笥などの家具、食器など全ての家財道具を持って移動をしていましたので、家具は運びやすさも考えて、シンプルなものが使われていました。また、城は戦略基地として城砦の機能が重要だったため石作りで堅固に作る必要がありました。内装の美しさなどは二の次で、防寒をかねて移動可能なタペストリーで壁を飾るのが最大の贅沢で した。一方でルネッサンス文化が咲き誇るイタリアは、もともと小国が多かったため宮廷が移動する習慣はなく、美しい飾りのついた部屋や家具が作られていました。

 アンボワーズ城はもともと城砦を目的として建てられた城でしたが、16世紀始めのイタリ ア遠征によってルネッサンスに目覚めたフランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチをアンボワーズ城に呼び寄せ、城をイタリア風に飾りたてました。中世とルネッサンスがミックスした過渡期の城は大変興味深いものでした。残念ながら建物の一部しか現存していませんが、それでも土台部分の堅牢な部分と、一部の内装と家具の洗練された部分の対比が面白かったです。

 2番目の城シュノンソー城は水の上に浮かぶ、まるでおとぎ話に出てきそうな美しい城で、 フランソワ1世の息子アンリ2世の愛妾ディアンヌ・ド・ポワティエが住んでいましたが、アンリ2世の死後は未亡人となった正妻カトリーヌ・ド・メディチが 愛妾から城を取り上げて自分の物としました。カトリーヌはフェレンツェのメディチ家からフランス王家に嫁ぎ、3人の息子の摂政、母后として30年も君臨した人で、彼女を通じて最新のルネッサンス・イタリア文化がフランスに伝えられたそうです。シュノンソー城は1515~21年頃建てられ、その後も改築が続けられましたが、もはや城砦としての機能は全く持っておらず、貴族が優雅に生活するために建てられた城です。カトリーヌの死後も4人の女性が城主となりました。こじんまりしているけど、女性らしい繊細さにあふれた本当に美しいお城でした。庭園もとてもかわいらしかったです。

 3番目はロワール川流域で最大のシャンボール城です。フランソワ1世がレオナルド・ダ・ ヴィンチの意見も聞きつつ計画を進め、レオナルドの死の年に建て始めた城で、本丸と大きな4つの塔を持ち、完全な左右対称の均整がとれた城です。とにかく 巨大で暖房設備もなく、まわりに村もなくて食料調達も難しかったため、フランソワ1世はこの城に住むことはなかったそうです。巨額をかけたにもかかわらず 主に狩の時の宿泊施設として、生涯でたったの50日弱程度しか滞在しなかったといわれます。女性たちが城から狩の様子が眺められるようにと広いバルコニーが設 けられ、周囲が360度よく見えるように作られていますが、城砦としての機能は全く持っておらず、フランソワ1世が自分の趣味のためだけにこの城を建設し たことがうかがえます。居住性は最悪でも外からの見栄えは大変すばらしく、フランソワ1世は宿敵ハプスブルグのカール5世を城に招待して、国力の充実を自慢したそうです。

 

◆久しぶりにヨーロッパを訪れて

 古城めぐりを最後に、後ろ髪を引かれつつ暑い日本へと帰ってきました。5月からずっと極端に忙しい日々が続きかなり疲れていたため、ヨーロッパに行く前は、「何の下調べもできていないし、なんでこんな旅行の計画なんて立ててしまったのだろう、BCJのツアーだけに集中して日本でゆっくり休めばよかった・・・」とちょっと後悔していたのですが、旅行を終えてみたら本当に観光旅行も入れておいてよかったと思いました。

 久しぶりに日常のしがらみから離れて、ヨーロッパのゆったりとした時の流れに身を任せ、 17、18世紀の華やかな時代に思いをはせることで、身も心もいつの間にかリフレッシュされ、なんだかとてもすがすがしい気分になって日本に戻ってくることができました。やっぱり、人間時々休養が必要ですね!

 帰国翌日からもうリハーサルで、また忙しい日常が戻ってきてしまいましたが、「おのぼりさん旅行」の効果で気力は十分!芸術の秋に向かって集中して頑張れそうです。

アンポワーズ城

シャンボール城とフランソワ1世

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