欲張りな私の優雅な時間 (2009年5月)
これは古楽情報誌「アントレ」2009年5月号「ぱうぜ12」寄稿した文章です。
物欲はほとんどないので今まであまり気がつかなかったのだが、どうも私はとても欲張りらしい。子供の頃から習い事が大好きで、ピアノ、聴音、フルートはもちろんのこと、習字、水泳、図工、体操、オーケストラ、教会学校等々、相当の数の習い事を毎日嬉々として渡り歩いていた。生来あまりに不器用なため、先生があきれるぐらい上達しなかったものがほとんどだが、そんなことは私にとっては全く問題ではなく、いろんなことをしていることがとにかく楽しかったらしい。
本を読むのも大好きで、3つの異なる図書館から毎週10~15冊の本を借り、棚の端から順番に読みあさっていた。ピアノ、フルートの練習も、あともうちょっとしたらできるようになるかもしれないと思うとついついやめられなくなり、退屈な音階練習を毎日2時間でも3時間でも平気で続けていられる子供だったようだ。
大学に入るとどの授業もとても面白そうで、あれもこれもとぎりぎり目いっぱい時間割を組んでしまい、授業、練習、宿題、アンサンブルと寝る暇もないほど忙しい日々を送り、その結果睡眠は授業中にとるという悪循環を繰り返していた。オランダ留学時代もレッスン以外ほとんど授業のない留学生が多い中、ろくにない語学力で本当に理解できていたかはともかく、和声、音楽史、合唱から音楽教育心理学に至るまであらゆる授業に手を出し、ホームシックなどにかかっている暇は一度もなかった。帰国後はソロ・アンサンブル・オーケストラなどの演奏活動やレッスンはもちろんのこと、「フルートの肖像」など門外漢の執筆活動にまで手を広げ、さらには趣味でバロックダンスや歌を習うことを楽しみ、猪突猛進、脇目もふらずに愛する音楽の道を突き進んできた。
忙しいことは幸せである。もっともっとやりたいという意欲があることは幸せである。欲張りだったからこそ今の自分があると思う。だが時々ふと我に返って、忙しすぎて自分の心に余裕がなくなってはいないだろうかと思うことがある。忙しさの中でつい、つい切り捨てがちな無駄な時間・・・ゆったりと食事を楽しんだり、友人、家族ととりとめない会話をしたり、街中でちょっと珍しいものを発見したり。そんな何気ない心のゆとりを失っている時、狭い視野に凝り固まって神経を尖らしている自分を発見して、深く反省することがある。
そんな自分の欲にがんじがらめになってもがいていた私を救い出してくれたのが、御年76歳になられるチェンバロの巨匠ロベール・コーネン氏である。音楽とワインそして人との会話を何より愛するコーネン氏は、驚くべき包容力と柔軟性で周りの人たちをいつも暖かく包み込んでくれる。彼の別荘に泊り込んで行う録音は今回で3度目だが、毎回まるで天国にいるようだ。天上から音が降ってくるかのようなすばらしい響きのする教会、優雅で高貴なオリジナルチェンバロ、優しい奥様のシンプルだけど新鮮でおいしい3度の食事と極上のワイン、一面に広がるのどかな牧草地や静かな森林、そしてユーモアあふれる軽妙な会話。普段とは明らかに違う、ゆったりとした時間の流れ。そんなに急いでどこに行く?そんなに欲張って何を得る?コーネン氏と一緒に演奏すると、焦燥感に駆られてあせっていた自分の心が穏やかに落ち着いていくのを感じる。
コーネン氏のおおらかな中に隠された細やかな心配りと繊細さ、そして音楽に対する純粋さと大胆さはまさしく彼の人生そのもの。ゆとりあふれる彼の生き様は、私もこんな風に上手に年を取れたらいいなと思う理想像でもある。だが一方で私を育んできてくれた「欲張り」もおそらく一生やめることはできないだろう。「欲」と「ゆとり」の絶妙なバランス。これが目下私の最大の目標である。
さて、「欲張り」な私はこの度とうとう「ムジカ・リリカ」というCDの新しい自主レーベルを立ち上げてしまった。このレーベルから3枚目のソロCD「J.M.オトテール フルート組曲集」を4月にリリースする。5月には札幌から福岡まで1週間の間に全国5箇所を回る発売記念リサイタルを行う予定である。なんとも盛りだくさんの計画なのだが、一緒に演奏するのは「ゆとり」のコーネン氏といつも優雅な平尾雅子さん。18世紀のヴェルサイユを彷彿させるような、ゆったり、しっとりとしたコンサートになるはずである。皆様と一緒に贅沢な時間を共有できれば幸いである。
※この文章は、古楽情報誌「アントレ」2009年5月号 ぽうぜpoause12 より了解を得て、全文転載しました。