イギリスでのフルートリサイタル(2004年10月)
ヨークで開かれたフルートコンベンション
8月19日から30日までの11日間、イギリスとオランダに行ってきました。今年のヨーロッパは冷夏らしいといううわさをきいて、日本の10月末程度の服を持っていったのですが、それでも日本の猛暑に慣れた私にとっては、寒くて、寒くて、ありったけの服を重ね着していました。でも、体は凍えるように寒かったのですが、心はとてもエキサイティングな毎日でした。
今回の渡英の目的は、イギリスのヨークで行われたフルート・コンベンションに参加して、1時間のソロ・リサイタルを行うことでした。今年のコンベンションのテーマは「アジア」で、日本人作曲家の作品紹介、日本の若手フルーティストの紹介のみならず、篠笛、能管奏者や中国の伝統的な笛奏者などのコンサートも行われていました。
コンベンションの監督を務めるトレバー・ワイ氏(下写真)によれば、「日本人の演奏は技術は高いが猿真似で面白みに欠ける」と言われてきたけれども、最近の若い有望な奏者たちは、けっしてそんなことはない。日本というすばらしい文化を背景に、それぞれ個性豊かですばらしい奏者が育ってきているので、それをイギリスの人々にも知ってほしかったのだそうです。そのため、日本人の若手バロック・フルート奏者代表として私が招待されました。
今回のリサイタルは、私がこれまで行った中で一番ヘビーなコンサートでした。チェンバロとチェンバロ奏者を用意することができないとのことでしたので、曲はすべて無伴奏。聴きに来る人はほぼ100%フルート奏者なので、せっかくならいろんな時代のフルートを説明付きで紹介してほしいとの要望を受けて、ルネッサンスからクラシックまで5種類の楽器を使って、ファン・エイク、クープラン、クヴァンツ、J.S.バッハ、C.P.E.バッハなどの曲を演奏しました。無伴奏、英語での説明、楽器の持ち変え、曲目、そのすべてが大変だったのですが、その極めつけが、コンサートの開始時間でした。なんと朝の10時だったのです!
4日間におよぶイギリスのコンベンションは、朝9時から夜の10時まで、数々のコンサート、レクチャー、フルートオーケストラ、即興コンテスト、クイズ大会、楽器、楽譜展示など盛りたくさんのプログラムが組まれていました。そのため、朝10時のリサイタルの存在もいた仕方ないのですが、普段、夜7時が最高になるよう体のコンディションを整えている夜型人間の私にとって、朝10時のコンサートは途方もない早朝です。目が覚めて、体が演奏可能な状態に完全に目覚めるまでには通常4~5時間かかるので、演奏会当日は朝5時に起きて近くを散歩して、体調を整えました。時差ボケが完全に治っていなかったのがせめてもの幸いでした。
コンサートの反応は上々で、コンサート後にはたくさんの方から「とてもよかった」「心が和んだ」などの言葉をいただき、ほっとしました。イギリスは古楽が大変盛んな国ですが、トラヴェルソとモダン・フルートの両方をやっていますという方や、モーツァルト以前の作品はトラヴェルソでしか聴きませんという方がとても多かったのが印象的でした。
コンベンションでは、ジェームズ・ゴールウェイやウィリアム・ベネットのリサイタルなども行われていましたが、私にとって一番面白かったのは、トレバー・ワイによる「クーパー・スケール」についてのレクチャーでした。ワイ氏やベネット氏がクーパー氏と様々な議論、実験を繰り返しながら、いかにして、クーパースケールにたどり着いたかというのが話の趣旨でした。結論をいえば、20世紀半ば全盛期を誇ったヘインズやパウエルなどの楽器は、A=438Hzのルイ・ロットの楽器をモデルにして、その基本構造をほとんど変えずに、管を短くすることによって440や442の楽器を作っていたけれども、それでは音程のバランスが崩れてしまうので、それを442用に構造から変えたのがクーパー・スケールなのだそうです。
レクチャーは、従来のフルートの問題点を把握すべく、まずフルートの歴史の概説から始まりました。通常の概説では、ドイツ人のベームが従来のものとは全く違う新しいフルートを発明し、フランス人のルイ・ロットがそれを洗練し、現代のフルートの基礎が出来上がったと説明するのが一般的です。しかし、ワイ氏の説明はイギリス人のチャールズ・ニコルソンから始まりました。指穴、歌口が大きく、大きな音のするニコルソンの新式フルートをみてショックを受けたベームが新しいフルートを開発し、イギリス人はそれをいち早く受け入れ、さらなる開発が絶えず試みられました。だからこそ、カルテの弟子であるクーパーは、ルイ・ロットモデルに安住することなく、新しいフルートを開発することができたのだそうです。島国イギリスのフルートは、フルート史の中ではやや本道から外れていて、あまり省みられることがないのですが、イギリス人はやはり自国のフルートを誇りをもって愛しているのだなあ、と思いました。
エディンバラ・フェスティバルの見物
コンベンションの後は、国際フェスティバル中のエディンバラに5日間滞在しました。非常に規模の大きなシアター・フェスティバルで、演劇、ダンスなどを中心に町のいたる所で、なんと毎日800以上の様々な公演が行われていました。場所はカフェ、映画館、教会、ホテルの宴会場、野外に臨時で設置された舞台から、本物の劇場、コンサートホールにいたるまで、ありとあらゆるスペースが活用されていました。出演者も多種多様で、高校生から若手プロ、ベルリンフィルにいたるまでいろいろでしたが、高校生といえども、かなりレベルは高かったです。
あまりに膨大なため、どの公演を見るか決めるだけでも一苦労なのですが、言葉があまり必要ないミュージカルや、ダンス、無言劇、音楽会などを中心に1日4~6もの公演を、はしごして楽しみました。
完全裸体の男性による超前衛的なパフォーマンスで、生命の根元と世界の崩壊を感じた15分後に、オリジナルチェンバロによるコンサートで、18世紀の高雅で優雅な宮廷文化に浸り、そのさらに15分後にはブロードウェイのはじけるよなミュージカルで、20世紀の生命力あふれる大衆文化を堪能しました。また翌日には、ちょっともの悲しいパントマイムの後に、語り部や吟遊詩人、踊り子や器楽奏者が織りなすスウェーデンのファンタジー風北欧神話の物語、ドイツの大きなお面をかぶった無言喜劇、そしてブレークダンスによるロミオとジュリエットのミュージカルを続けて見たりしました。
それぞれの公演が独自性にあふれていて、見ている私の感情や感覚を無遠慮にパフォーマンスの中に引きずり込むので、私の精神は4日間、完全に嵐の中でした。中世から現代、そして未来まで、欧米文化のあらゆる時代と精神をこの4日間で体験出来たような気がします。
帰国から3週間が経ち、フェスティバルでの経験を、ようやく冷静に思い出すことができるようになりました。その時はただただ圧倒されてしまっていたのですが、今になって思えば、私が一番感動したのは、芸術という表現方法への人類の飽くなき挑戦だったのだと思います。無限の可能性。芸術を志す一員として、けっして忘れてはいけないそのことを、エディンバラ・フェスティバルは私に強く印象づけてくれました。
オランダでのトラベルソ展示
エディンバラの後は、オランダに数日行きました。今回の目的は、ユトレヒト音楽祭の楽器と楽譜のエキジビションを見に行くことと、Hakka、Beukers、Tassiなどのオリジナル・フルートの試奏をする事でした。
楽器展示には、Berney, Wenner, Polak, Aurin, Soubeyran等のトラヴェルソ・メーカーが来ていました。4,5年前まではG.A.ロッテンブルグが主流で、その他にはオットテール、グレンザーなどが少し見られる程度でしたが、最近はメーカー独自の選択による楽器がずいぶん増えてきました。また、同じメーカの中でもそれぞれの楽器の特徴がよくでていて、特に若手メーカーの質はここ4,5年で飛躍的によくなってきている気がしました。個人的に印象に残っているのは、SoubeyranのTulou, AurinのLibel, Denner, Palanca, BerneyのFlute d'Amour、A=408HzのBassanoなどです。
Hakka等のオリジナル楽器はプライヴェート・コレクションで、なかなか演奏することは出来ないのですが、今回の試奏はトラヴェルソ・メーカーのポラック氏の尽力で実現しました。ポラック氏はこれらのオリジナル楽器をもとに楽器を製作されています。
何より印象深かったのは、現存する最初期の円錐管フルートのHakkaです。外見はリシューなどの円筒管フルートとほとんど変わりませんが、音は完全に円錐管のみに特徴的な、こもった暖かい音がしました。音色はオトテール・フルートやフルート・ダ・モーレに近く、甘く美しい音がしました。ミッシェル・ランベールなどのエール・ド・クールなどを、ぜひこの楽器で吹いてみたいと思いました。
Beukersはオランダの楽器ですが、個人的な印象ではフランスやドイツの楽器よりはやはりベルギーのロッテンブルグに近いような気がしました。Tassiは1740年頃パリ・オペラ座で使われていたというロー・ピッチの楽器です。オトテールなどと同じように、ロー・ピッチならではの深みはありますが、やはり少し時代の新しい楽器らしく、輪郭がよりはっきりしていて、反応の早い楽器でした。高音が非常に出しやすく、ラモーが後期のオペラでGやAなどの最高音を多用しますが、十分それに耐えうる楽器だと思いました。
今回の旅は11日間という短いものでしたが、私にとっては非常に密度の濃い旅でした。日本という島国に引きこもっていると、気をつけていても知らぬ間に、井の中の蛙に陥りがちです。時々海外に出て、新鮮な風に当たること、そして外から自らを見直すことの重要性を、改めて実感いたしました。
ヨークでのフルート・コンベンションでトレバー・ワイ氏と(左)、エディンバラ城内でのスコティッシュハープの弾き語りコンサート(中)、道ばたでのバグパイプ演奏(右)