ロベール・コーネンとのリサイタルツアー(2003年9月)
3年ぶりのリサイタル・ツアーが無事終わりました。梅雨時のツアーでどうなることかと心配だったのですが、どの会場にもたくさんの方が聴きに来て下さり、本当に楽しいツアーとなりました。共演者は前回と同じく、ロベール・コーネン氏と平尾雅子さん。御年71才のロベールはすでに何度も来日していますが、夏の日本は初めてとのこと。梅雨時のあの不愉快な湿気と暑さに体調を崩さないかと、それがなによりも心配だったのですが、それはもう、全くの杞憂でした。ヨーロッパから着いたその日にリハーサル、そして連日の移動とコンサートというハードスケジュールにもかかわらず、ロベールの元気なこと!西洋人の底力を見た気がしました。
仙台・・・
最初のコンサートは7月8日に仙台の宮城女子学院大学音楽科のハンセンホールで行いました。このコンサートはリサイタルではなく、学生向けのレクチャーコンサートだったため、大学の授業終了に合わせて開始時間も17時10分と不規則でしたが、大学以外からも広くたくさんの方が聴きに来て下さいました。初めて古楽を聴く学生も多かったようですが、モダンとは違う柔らかな音色と軽やかさに感激してくれたみたいです。古楽と出合う機会の少ない地方の若い世代の人に、新しい音楽の可能性を少しでもお見せすることができたなら、うれしいなぁと思いました。コンサート終了後には学生や大学の方との交流の機会もあり、楽しい夜をすごしました。
唐津・・・
翌9日は佐賀県唐津の隆太窯でのコンサートでした。隆太窯コンサートというのは、著名な陶芸家中里隆氏が自宅で行っているホームコンサートですが、そんじょそこらのホームコンサートと一緒にしてはいけません。すでに公演回数130回以上の歴史あるホームコンサートで、出演者がこれまた豪華。有田正広先生を初めとする、日本古楽界のそうそうたるメンバー、そしてクイケン兄弟やサヴァールなど来日した古楽奏者の数々が、隆太窯コンサートに出演しています。私のような若輩者など、本来ならとても申し訳なくて出させていただけるコンサートではありません。でも、中里氏は私がモダン・フルートからトラヴェルソに転向するきっかけを作って下さった方で、私のトラヴェルソ奏者としての成長を一から見守り続けて下さっているため、今回光栄にもコンサートに出演させていただけることになりました。
ところが、とんでもないことが起こってしまったのです!
開演2時間半前にリハーサルが終わるまではすべてが順調でした。前日の仙台は肌寒く、控え室ではストーブを入れていたほどでしたが、この日の唐津は九州の梅雨にふさわしい、今にも豪雨になりそうな高温多湿の猛暑でした。移動のための早起きに加え、10℃を超える温度差に少々疲れていた私は、本番までの空き時間に少し昼寝をして体力を蓄えようと思いました。窯元である中里さんのお宅は緑豊かな山の中にあります。私は窓を全開にして、山の清々しい風を受けながら、縁側近くの畳の上でうつ伏せになって寝ていました。すると、なんと言うことでしょう!虫が、私の下唇中央付近を刺したのです。
この時すでに本番2時間前。私に唇はみるみるうちに、ぷっくりと腫れあがりました。口はフルート奏者にとってなによりも重要な場所です。これは大変だとすぐに皮膚科へ行き、注射を打って塗り薬と飲み薬をもらって戻ってきたのが、本番45分前。しかしこの時、私の腫れた口ではまったくフルートの音を出すことはできませんでした。薬のおかげで少しずつ腫れが引き始めてはいましたが、なにせ昼寝中のこと、なんの虫に刺されたのかも不明で、その時点で、いつ私の音が回復するのかは誰にも分かりません。
しかし、お客さんはすでに続々と集まりつつある状態で、コンサートをキャンセルするわけにはいきません。幸いなことに、もともとここでのプログラムは、仙台と同様私のリサイタルではなく、ガンバやチェンバロのソロもあるアンサンブル・コンサートだったため、とりあえずプログラムの順番を変えて、フルート抜きの曲から始めることにしました。そして、私抜きでもコンサートが成立できるようにと、平尾さんは自宅に電話して、J.S.バッハのオブリガートチェンバロつきガンバ・ソナタの楽譜や、ガンバ無伴奏の曲をFAXで至急送ってもらいました。ところがあまりにも枚数が多いため、FAX用紙があっという間になくなり、町まで慌てて用紙を買いに行かねばならず、コンサート開始時、その楽譜はまだそろっていませんでした。
暗中模索のまま、コンサートは始まりましたが、私の唇の調子は強力な薬のおかげか次第に良くなり、到着したての楽譜でぶつけ本番のガンバソナタが終わる頃には、どうにか音が出るまでに回復しました。そして、プログラム後半にヘンデルのソナタやテレマンのトリオをなんとか演奏し、怒濤の嵐のうちにコンサートは終了しました。ロベールが演奏家生活50年で一度も経験したことがないというほどの珍事件でしたが、聞きにいらしたお客さんは、ぶつけ本番や不自由な口での演奏により、異常にまで高まっていた我々の集中力を熱演として楽しんで下さったようで、兎にも角にも一件落着。
宇部・・・
翌10日は山口県宇部市の緑橋教会でのコンサートでした。木の暖かい雰囲気を持った緑橋教会は、前回のツアーでもお世話になった場所ですが、響きが抜群によく、今回も演奏できるのを楽しみにしていました。問題の唇も、すでに何事もなかったかのようにもとに戻っており、この日は心ゆくまで、透き通るような会場の響き、そしてロベールと平尾さんとのアンサンブルを楽しむことができました。コンサート終了後には主催者の方が手作りのパーティーを開いて下さり、柔らかな蝋燭の明かりの中で、前日とは打って変わって、落ち着いたひとときを過ごしました。
柳川・・・
仙台、唐津、宇部と3日間連続公演でなかなか大変でしたが、翌11日は一日空き日でした。そこで私達は福岡から電車で45分のところにある、水郷の町柳川に行きました。ここは北原白秋の故郷としても知られる町です。私達は古い農家の家を改築したという大変風情のある旅館でゆっくりと休養しました。有明海の海の幸をふんだんに盛り込んだその旅館の夕食メニューはムツゴロウ、ウミタケ、カワタケ、ワケノシンノス(イソギンチャク)、クッツォコなどなど、日本人でもほとんど食べたことのないもののオンパレードでしたが、ロベールはそのすべてをおいしそうに食べていました。もちろん昼食には柳川の有名なウナギのせいろ蒸しも食べましたが、ウナギはベルギーの料理でも使うらしく、大好物だと言っていました。
福岡・・・
12日は私の出身地福岡でのコンサートでした。地元でのコンサートというのは何度やってもうれしいものです。普段は一人前の音楽家らしく振る舞わなくちゃと、ついつい背伸びしたり、つまらない見栄を張ってしまったりもするのですが、人一倍不器用で、のろまで、そして成長の遅かった子供時代の私を知っているピアノの先生や小学校の先生、そして古くからの友人や親族の前では、いつも素のままの自分に戻ってしまいます。昔を知っているからこそ、歯に衣を着せず良いところも、悪いところも包み隠さず語り、あるがままの私を受け入れ、応援し続けてくれる人々の存在は、なににも代え難い私の心の支えであり原点です。今回もたくさんの方から、「りりちゃん、上手になったね」「ちょっと大人っぽくなったんじゃない?」などとお褒めの言葉をかけていただき、故郷があるっていいなぁ・・・とほのぼのとした気分になりました。
東京・・・
13日は福岡から東京への移動日で、14日が東京でのコンサートでした。地元でのコンサートとはうって変わって、東京でのリサイタルというのは大変気合いが入るものです。失敗したらどうしよう・・・、お客さんが来てくれなかったらどうしよう・・・、などと不安と緊張で迎えたツアー最後のコンサートでしたが、幸い満席に近いお客様に恵まれ、何とか無事に演奏を終えることができました。コンサート後のCD即売サイン会でも、用意したCDがほぼ完売し、ほっと胸をなで下ろすことができました。
というわけで、たくさんの方々のご協力の下、2003年CD発売記念ツアーは成功の裡に幕を閉じることができました。コンサートを主催して下さった方々、コンサートを聴きに来て下さった方々、またコンサートには来られなくても、CDを聴いて楽しんで下さった方々、皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。まだまだ拙い未熟者ですが、これからも暖かい目で応援していただければ幸いです。
写真はいずれも福岡公演(あいれふホール)